第7期基礎講座 「豊かさと幸せの基準」

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12月9日(土)~10日(日)、第7期真庭なりわい塾 基礎講座を開催しました。卒塾式に向けて、今回が最終の講座になります。塾長、副塾長による総括講義のほか、2年目の実践講座に関する話し合いをや「X年後の自分の生き方・働き方」を考えるワークショップ等を行いました。

◆講義「幸せになるための地域経済~もはや一刻の猶予も許されない地球環境の激変~」駒宮博男(副塾長)

ここ数年、気候変動はますます顕著になり、「地球沸騰化」の時代になりました。今後あるべき経済活動の根本は「地球を浪費しない経済」です。「せめて孫までは持続可能な経済」であってほしいと思います。そこでまず、押さえておきたいことは、世界の現状です。

これは、ケイト・ラワースが2011年に提唱したドーナッツ経済学という新しい経済概念です。ドーナッツの内側の円は、人間が幸せに暮らすために必要な社会的土台。外側の円は、地球に負荷がかかる上限が表しています。地球環境を破壊することなく、社会的正義(貧困や格差などがない社会)を実現しながら人類が幸せに生きる範囲をドーナッツ状で表しています。ドーナッツの穴の部分は、社会面の12分野(水、食料、エネルギー、教育、男女平等等)の不足、ドーナッツの外側の部分は、「プラネタリーバウンダリー」(地球の境界)の9つの分野(気候変動、大気汚染、生物多様性の喪失等)の超過を表しています。持続可能な未来をつくるためには、環境面での超過と社会面での不足をなくし、すべてをドーナツの「中身」におさめる必要があります。

これを少し改変し、各国の状況を分析したのが、Leads大学です。ドーナッツ経済は、地球規模で表すのではなく、世界各国の状況を分析し、地域規模で把握することが必要だと考えたのです。

斎藤浩平さんの「人新生の資本論」には、Leads大学の分析結果が各国分布図として掲載されています。各国の状況を見ると、先進国は「生活の質の向上」を手に入れてる代わりに、過剰な「環境負荷」をかけていることがわかります。「生活の質の向上」が十分ではない途上国は、「環境負荷」はかけていないという結果になります。多少希望がもてるのはベトナムで、「生活の質の向上」は「6」、「環境負荷」が「1」という結果です。日本は、「生活の質の向上」は「10」ですが、「環境負荷」は「5」になっています。

つまり、人類はこれまで「環境負荷をかけて、豊かさを追い求めてきた」ということです。日本がこれまでお手本と考えてきたデンマークも、フィンランドも過大な「環境負荷」をかけています。「環境負荷」をかけてきた結果、「気候変動」が起きているのです。そしてその最大の被害者は「途上国」です。

2015年の「所得階層別CO2排出量」を見てみましょう。誰がCO2を排出しているのかを所得別に比較して見てみると、所得の上位10%の人が全体の49%のCO2を出しているということがわかります。貧困層50%は、全体の10%の責任しかありません。つまり、富裕層が生活のレベルを下げるしかない、ということは一目瞭然なのです。

日本は科学技術で、環境負荷を軽減しようとしていますが、本当にできるのでしょうか。これまで追い求めてきた「豊かさ」は持続不可能で、科学技術の発展では太刀打ちできないのではないかと私は思っています。

もしも日本が本気で持続可能な社会を求めるならば、抜本的な「生活改革」、「社会改革」、「経済改革」が必要です。たとえば、5年で捨てていたものを10年使うようにすれば、生産量は半分ですむようになり、産業にかかるエネルギー消費も半分に減ります。自給や地産地消を基本にすれば、運輸輸送にかかるエネルギーも半分になるでしょう。民生で使用する熱エネルギーを100%自然エネルギーで賄うようにすれば、これも半分に減ります。そうすれば、日本人全体のエネルギー消費を半分に減らすことができるのです。「買う」から「つくる」暮らしへの転換は大きな変革につながります。しかし、全員が100%は自給することは無理ですから、できない部分は地域で自給し、交換や贈与によって補う必要があるでしょう。

では、肝心の地域経済はどうなっているのかというと、この図にあるように「穴の開いたバケツ」になっています。

地方に住む人の収入は、給与、年金、あるいは補助金として入ってきますが、たとえば、アルコール代、燃料費、あるいは外食費として、地域の外に出ています。いくら稼いでも、地域外にお金が出ていってしまっては、地域経済は活性化しません。

これを「見える化」するための分析方法のひとつとして、LM3(Local Multiplier 3)があります。「売上」を、「外部流出」と「人件費」と「内部調達」の3つに分けて分析します。たとえば、「外部資本企業」を誘致した場合、「売上」のほとんどは、「外部流出」してしまいます。「地域資源調達型企業」の場合には、「内部調達」の割合が増えます。「外食チェーン」のビジネスモデルは、ほとんどの売上が「外部流出」しますが、「地産地消農家レストラン」の場合には、「外部流出」はわずかです。

実際の地域でこれをシミュレーションしてみると、たとえば、真庭市中和地区の場合、地域産業の総売り上げの約42パーセントが地域外に流出していることがわかります。地域外での消費は約81パーセントとなっていて、これが「穴のあいたバケツ」の実体であることがわかります。

たとえば、3000人の町に「起業誘致」し、従業員100人対して20人を地域で雇用する場合を計算すると、地域内人件費は4.8パーセントしか増えません。一方、食やエネルギー、車、住居等を「地産地消」した場合には、地域内人件費は8.4パーセントに増えることがわかります。「起業誘致」よりも、「地産地消」に力を入れたほうが、新たな雇用が生まれ、地域経済が活性化するということです。なお、ここまでの分析は、すべて「貨幣経済」を前提にしたものです。これからは「自給」、「贈与」、「交換」、あるいは「非営利的経済」も含めた、新しい経済学の構築が必要です。

ところで、皆さんは、シューマッハはご存知ですか。1970年代に「スモール・イズ・ビューティフル」という本を書いた人で、経済学者ケインズの一番弟子だったとも言われています。

シューマッハは、「仏教経済学」を提唱しています。簡単にいうと、経済とは「正しい生活」をするための仕組みであるべきだ、ということです。

先進国には病があります。それは、もっともっとと欲しがる、際限のない欲望です。「正しい生活」をするために必要なのは、「足るを知ること」です。必要以上にものを欲しがらず、欲をコントロールしてこそ大人だと、彼は言っているのです。

残念ながら(ドーナッツ経済学が証明したように)、 ヨーロッパが作り出した「近代文明」は、持続不可能なのです。ですから、これからは自給経済が中心だったアジアから新たな持続可能な経済のあり方を発信するしかないのかもしれません。持続可能な経済の構築に向けて、この塾を卒業する皆さんが、「買う」から「つくる」暮らしへの一歩を踏み出すことを期待しています。

◆再び「ナリワイ」と移住について考える!」
 横澤信也(北房未来づくりネットワーク)×小林建太(5期卒塾生)

先月は、「先輩の話を聞く」と題して、北房地域に移住し、地域で子育てをしたり、新たなナリワイを実践する3人の方にお話を伺いました。具体的な生き方、働き方の話を聞くことができて良かったという塾生の皆さんの感想が多かったため、今回も、2人の先輩から話を聞く機会を設けることとしました。

左から横澤信也さん、小林建太さん、司会の門野由貴さん

一人目は、横澤信也さんです。横澤さんは神奈川県横浜市に住んでいました。幼少期は、自然豊かな環境で育ちましたが、次第に開発がすすみ、周囲が住宅地へと変貌する様子を間近で見てきました。また、東日本大震災の原発事故の影響で、近くの保育園では、園庭の土を削って除染を行いましたが、取り除いたはずの土がそのまま放置されていることも気になっていたと言います。

たまたま、東京ビッグサイトで行われた移住相談会で、岡山県井原市の職員と出会い、「地域おこし協力隊」になってブドウ栽培にチャレンジしてはどうかと薦められました。そのことがきっかけとなり、1年間、井原市でブドウ栽培を学びましたが、将来はピオーネの栽培に挑戦したい、そして夫婦そろって研修を受けたいと考えるようになりました。そこで5年前からピオーネの栽培に適する北房地域に移住し、夫婦とも日植ファームでアルバイトをしながら自分の圃場も管理し、ブドウを育てています。日植ファームを選んだのは、ブドウ作りを教えてくれる素晴らしい先生がいると聞いたからでした。

ピオーネは収穫するまでに6年かかりますが、たとえば5反の畑があれば、1000万円の売り上げを見込むことができ、経費などを差し引いても手元には500万円が残るといいます。何よりブドウ栽培は、80歳まで続けることができる仕事なので、夢がある仕事だと感じているそうです。

もう一人、お話を聞かせていたただいた小林建太さんは、真庭なりわい塾の5期生です。小林さんは、もともと大阪の空調メーカーに勤めていましたが、コロナを契機となって毎日仕事に追われるようになり、また、その頃、共働きだった奥様も体調を崩したこともあって、ワークライフバランスや今後の子育てを考え、移住したいと思うようになりました。林業に関心があり、卒塾後は、北房で暮らしながら、1年間、びほく森林組合で働き、現在は、岐阜県立森林文化アカデミーで、森林施業や森林経営について学んでいます。将来の夢は、自伐型林業を実践し、半林半的な仕事をすることです。アカデミーを卒業した後には、再び北房に戻り、井尾集落で暮らしたいと考えています。北房を選んだ理由は、塾を通して、地域の人とのつながりができ、自分の夢を応援してくれる人が増えたからだそうです。

たまたま、お二人とも北房に移住することを選んでいますが、田舎の風景は実はどこも同じです。では横澤さんはなぜ、ここに暮らすことを選んだのかというと、この土地の気候風土が作りたいブドウの品種にあっていたこと。また、ブドウ作りを教えてくださる素晴らしい先生がいたからです。小林さんも、自分の夢を実現していくためには、人とのつながりが第一だと考えました。結局は、移住も、仕事も、人とのつながりや出会いが大切なのかもしれません。

◆「2年目実践講座に向けて~井尾集落の皆さんとともに~」
 加戸義和(北房まちづくり株式会社代表/井尾下自治会長)×原優子(ほくぼうほたるっこ代表)×小林建太(5期卒塾生)

真庭なりわい塾は、1年目の基礎講座を終えると、2年目に実践講座に進むことができます。実践講座の内容は、塾生や地域の皆さんと相談しながら決めていきますが、限られた期間の講座ですので、できれば、どこか一つの集落に通いながら活動ができるほうが良いだろうと考え、次年度は、上水田地区の井尾集落の皆さんに協力いただくことにしました。井尾集落は、実行委員の加戸義和さん、原優子さんなどが暮らす集落です。

左から小林建太さん、加戸義和さん、原優子さん

将来、この集落で暮らしたいと考えている小林建太さんは、現在、井尾集落の里山調査を行っています。はじめに小林さんから里山の植生とその活用について、自分が考えている夢を話してもらいました。あわせて、原優子さんからは、里山で子どもたちが自由に遊べる空間をつくることができたら嬉しいといったお話がありました。

その話を受けて、塾生からは、
・里山整備に興味がある。
・山歩きや植物観察をしてみたい。
・子どもたちと生物多様性について学べるようにビオトープを作ってはどうか。
・食べられる山野草や、活用できる植物をマップに整理してみてはどうか。
・植物を活用して何か商品をつくりたい。たとえば、草木染めなど。
・つくったものをマルシェのような形で販売できるといい。
・地域の皆さんと一緒に活動し、地域のお役に立ちたい。
といった意見が出ました。

それらを踏まえて、里山の手入れや子どもたちの遊び場づくり、樹木や山野草の活用、販売イベントなどをも含めた年間計画を、改めて整理することになりました。次回、卒塾式のときには、年間の日程やプログラムを塾生の皆さんに提案できると思います。ぜひ、皆さん、2年目の実践講座への参加をご検討ください。

◆2日目:修了レポートに向けたワークショップ 「X年後のわたし」

卒塾式では、塾生一人一人が、これから、どこで、誰と、どのように暮らし、どんな生き方、働き方をしていくのかを、それぞれ「X年後のわたし」と題して、発表をしていただきます。「X年後」は、「1年後」でも「5年後」でも「20年後」でも構いません。また、「どこで」暮らすのかが決まれば、おのずと具体的な暮らし方や働き方もイメージできるようになるでしょう。

今回は、卒塾式の発表に向けた準備の一環として、ワークショップを行いました。それぞれワークシートに自分の夢や構想を描いて、3人ないし4人1組で意見交換をしていきました。それぞれ話をしながら、お互いに「手伝えること」や「一緒にできること」がみつかった塾生もいたようです。来月、どんな発表を聞くことができるのか。今から楽しみです。

◆講義「未来のための江戸の暮らし」渋澤寿一(塾長)

江戸時代の日本は「鎖国」をしていました。当時は、地下資源も化石エネルギーも使わず、太陽エネルギーを吸収して成長する植物や植物性プランクトン、それを餌にする動物や魚、そして薪や炭などが、食糧とエネルギーのすべてでした。人間の排泄物を当時は「金肥」といい、田畑の肥料に還元していました。江戸は、生産と消費が一体となっており、閉じられた生態系の中で、すべてが循環していたのです。

庶民が住む長屋は清潔で、長屋から出るごみの量は、男性の指の先ほどだったといわれています。「もったいない」「バチがあたる」というのが庶民の価値観でした。ですから、江戸時代の基幹産業は、修繕やリサイクルに関わる仕事が大変多くあったのです。特に繊維は貴重品で、今も世田谷区で開催される「ぼろ市」はその名残りです。

刃物の研師、鋸の目立て屋、雪駄直し(下駄の歯を付け替える)、鍋釜を修理する鋳掛け屋、焼継屋(漆や白玉粉を用いて茶碗や皿などの修理する)など、さまざまな修繕業がありました。幕末には古着屋が3987軒、古道具屋が3672軒あったと言われています。それは、そば屋の3763軒と比較しても多いことがわかります。

傘張り職人というのは、皆さんも聞いたことがあると思います。傘の部品であるロクロは木地師が作る高価なものです。なので、傘が破れてきたら張り替える。張り替えることは、「おしゃれ」でした。大切に長く使うことは、当時の美的感覚でもあります。そして長く使うことが当たり前になれば、持続可能な社会になるのです。

人間の排泄物を「金肥」として扱っていた江戸とは違い、フランスでは、汚物を直接セーヌ川に捨てていました。当時のセーヌ川で渡船が転覆し、多くの人が亡くなる事件がありましたが、死因は窒息死でした。川でメタンガスが発生していたのです。一方、多摩川や隅田川には、アユや白魚が遡上していました。私は祖母から、隅田川で船遊びをしたときには、川からすくった白魚の踊り食いしたと聞いたことがあります。つい最近まで東京を流れる隅田川も、それほど澄んだ川だったのです。

江戸時代は、質素と正直の黄金時代でした。『逝きし世の面影』(経済学者、渡辺京二氏著)という本には、江戸時代に、日本に来た外国人が日本をどのように見ていたのか。それがわかる言葉がたくさん記されています。

たとえば、イザベラ・バードは奥会津を旅したときに「彼らの鋤による農作業は、その地方を一個の美しく整えられた庭園に変え、そこでは一本の雑草も見つからない。彼らはたいそう倹約家だし、あらゆるものを利用して役立たせる」と書いています。フィッセルというオランダの外交官は、「日本には食べ物に欠くほどの貧乏人は存在しない。 また、上級者と下級者の関係は丁寧で温和であり、それを見れば満足と信頼が行き渡っていることを知ることができよう」と記しました。また、モースは「日本は子供の天国だ。世界中で日本ほど、子供が親切に取り扱われ、そして子供のために深い注意が払われる国はない」と書いています。

江戸の教訓をまとめてみましょう。修繕やリサイクル産業が主産業であった江戸の町は、ゼロ・エミッションであり、都市と農村を一体としたエコシステム(循環社会)がありました。社会には「自治」があり、人々には「節度」がありました。美術や文学、演劇など優れた芸術的水準があり、何より、庶民の明るさと好奇心、そして、子どもや自然に対する愛情がありました。

江戸時代は、持続可能な社会を目指す人類にとって希望とも言えるものです。そして持続可能な社会のベースには、当時の庶民の生きざまと価値観がありました。

講義資料① 幸せになるための地域経済 駒宮博男
講義資料② 未来のための江戸の暮らし 渋澤寿一