第7期基礎講座「地域のお年寄りに話を聞く」

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9月23日(土)~24日(日)に、第7期真庭なりわい塾の基礎講座を開催しました。今回は、グループごとに地域のご高齢の方を訪ねて、その方の人生の歩みを「聞き書き」しました。また、2日目は「北房の自然・文化・歴史」について、VR映像の視聴と講義を行いました。一人一人の人生から、北房地域の歴史や特色について考えます。

●講義「聞き書きの世界」吉野奈保子

日本は森の国であり、周囲を海に囲まれた島国です。日本列島の長さは南北に約3500キロあり、その地の気候や風土に応じて、さまざまな暮らしの知恵や工夫があります。

今回の「聞き書き」では、北房地域で、長年暮らしてきた80代、90代の方々の半生を、しっかりと聞いてみたいと思います。

人にはそれぞれ異なる人生があり、長い道のりを歩んできたからこそ、語れる言葉があります。インタビューするときには「対話」を心がけましょう。話の広がりも、深さも、あなたの質問の仕方しだいです。投げるボールの角度を少し変えれば思わぬ答えが返ってくるかもしれませんし、「わかったつもり」になったとたん、もうこれ以上質問はできなくなります。そして「わかったつもり」になったときは、実は誤解も多いようです。

今日は、「わかったつもり」にはならずに、丁寧にお話を聞いてみてください。80年、90年生きてきた方の人生を丸ごと受け止める、そんな一日になればと思います。

●「聞き書き」の実践

Aグループ :佐藤 英輔さん(87歳) / 中津井・樽見集落

佐藤英輔さんは、昭和11年に7人兄弟の長男として生まれました。幼少時代から「勉強よりも畑へ」という生活でした。時代の変化と共に、消費者から必要とされる農作物は変わります。その変化の兆しを読み取りながら、いつも新たな挑戦をしてきました。

北房地域は、現在、ブドウ栽培が盛んです。佐藤さんたちは近隣のブドウ畑へ視察に行き、昭和63年から試行しはじめました。北房のブドウ栽培の開拓者のお一人です。

ブドウ栽培のパイオニア・佐藤 英輔さん

大豆・麦・蚕・葉タバコ・乳牛から和牛、そしてブドウへ。時代とともにナリワイを変え、変化し続けてきた佐藤さん。「父親も色々とやるのがすきじゃったけぇ。自分とじぃさん、似とるな」とのこと。父親の背中を見ながら、さまざまなことに挑戦する姿勢を身につけられたのではないかと思いました。

今でもお元気にお仕事を続ける秘訣は、日々、働いていること。「ブドウは自分がやり始めたことじゃけぇ、意地もある。できるだけやらにゃあ、と思ってやりよるからな……。休みすぎても身体が痛ぅなる」。百姓として生きてきた誇りを感じる言葉でした。

自慢のブドウ畑を背景に

Bグループ 新田武文さん(86歳) / 水田・平集落

「私はドン百(根っからの百姓)です」と語る武文さんは、北房では数少ない専業農家です。

昭和12年、5人兄弟の長男として生まれました。元陸軍大尉の父親は、長男の武文さんに対して厳しく、専業農家を継ぐことを求めました。行きたかった学校へ行くことも、外へ働きに出ることも許してはくれず、父親が決めた進学先で農業と道徳を3年間学んで、帰郷しました。

昭和37年に武文さんが結婚した頃、北房地域のほとんどの農家が兼業農家でした。父親から広大な田んぼを継いだものの、稲作だけでは食べていけないので養豚を始めました。大変苦労をしたこともあり、息子には継がせたくないと考えていた武文さんですが、18年前に息子さんが脱サラをして農業を継ぎ、今では息子のお嫁さんも孫も一緒になって養豚を営んでいます。皆働き者で、3世代で田の畔の草刈りをする日もあるそうです。

家族について笑顔で語る新田武文さん

厳しい父親のもと、思い通りの選択はできませんでしたが、そのおかげで今の暮らしがある、と考える武文さん。「毎日ありがたいなと思って暮らしとる」と語ります。

Cグループ: 坂本慶子さん(92歳)/中津井・上町集落

坂本慶子さんは大阪府出身。7人兄弟の長女です。戦時中は焼夷弾が降る中、弟を背負い、逃げたこともありました。一時期、高梁の高校に疎開。戦後は大阪の大谷高等女学院を卒業し、心斎橋にある大丸百貨店に勤めましたが、祖母の姉が北房にましたが、子どもがおらず、取子取嫁をしたため血のつながりがなく、慶子さんがその孫にあたる長男に嫁ぐことになりました。親の言うなりで結婚を決めたことで、人生は一変します。

「土の道も踏んだことないのに、田植えしてドロドロになりました。蚕も飼(こ)うて、タバコも作っておったです。畑はお爺さんがいつまでもしてほしい、お婆さんは早(は)よう帰ってご飯の支度してほしい。だから私は駆けて帰るんです。坂本の嫁さん、また、駆けておるって、よう言われました」

坂本慶子さん(中央)を囲んで

慶子さんは結婚した当初から婦人会活動にも参加。当時、家の近くには専売所があり、北房じゅうの葉タバコが出荷されていました。「1か月ほど市(いち)が立ち、お茶屋や食堂もあって、そりゃあ賑やかでした」と、たとえ生活は大変でも活気があった当時を懐かしむ様子が印象的でした。

当時、中津井商店街も同様に、様々なお店でに賑わっていた

●録音したデータの書き起こし作業

インタビューを録音したデータはグループ全員で手分けし、書き起こしました。聞いた内容を反芻しながら、黙々と作業します。夜9時近くまで作業をし、残りは翌朝、作業を続けて、全員が書き起こしを終えることができました。「聞き書き」では、この書き起こししたデータをもとに、作品づくりを行います。

●2日目 聞き書き作品のまとめ方

翌日は、書き起こした文章を整理する方法を、ワークシートを使って学びました。「聞き書き」では、話し手が、まるで一人語りをしているように、ご自身の人生について語るスタイルで作品をまとめます。話し手の語り口や方言も生かしながら、前後の文脈がわかるように整理していきます。

最後に各グループのリーダーを決めて、今後の作業スケジュールを確認しました。まとめた作品は、1月の最終講座で配布する予定です。

●映像と講義「北房の自然・文化・歴史」

2日間の締めくくりとして、「里山里海交流館しんぴお」で、北房のホタルや自然をテーマとしたVR映像を、館長の坂本信広さん(真庭ないわい塾副塾長)の解説で視聴しました。

太古の時代に石灰岩が隆起してできたカルスト台地が広がる北房地域には、鍾乳洞が多くあります。カルシウムを豊富に含んだ備中川にはカワニナが多く生息し、日本一のホタルの里として知られるようになりました。

古代から製鉄と稲作によって栄えたこの地域は、吉備文化と出雲文化の境目に位置し、200基以上の古墳も確認されています。備前、備中、美作の3国のうち、北房は長く備中国として歩んできましたが、江戸時代には伊勢亀山藩の飛領地だった時代もあり、中津井には陣屋が置かれました。領内繁栄のため、正月ぐらいは贅沢にと行われるようになった「北房ぶり市」は、今も続いています。そしてお正月のお雑煮は、味噌汁、すまし汁の二通りがありますが、どの家庭も、必ず鰤(ぶり)を入れるそうです。

かつては、稲作のために牛を飼い、また、養蚕や葉タバコの生産も盛んだった北房地域ですが、現在はブドウ栽培が盛んです。そうした北房の産業の歩みを、北房振興局長の大塚清文さんからも解説いただきました。

北房に生きてきた人々、その歴史や歩み、自然や文化の特徴を、改めて整理し、知る機会となりました。

講義資料 「聞き書きの世界」 / 北房地域の紹介