2016年11月12、13日(土・日)に真庭なりわい塾の第7回講座を実施しました。
今回の講座は「中和の未来を考える」と題し、人口予測、教育の在り方、空き家活用などについて、レクチャー、ディスカッションなどを行いました。
はじめに、藤山浩氏(島根県中山間地域研究センター)が、講義を行いました。
(※詳しくは、著書「田園回帰1%戦略~地元に人と仕事を取り戻す~」をご覧ください)
<都市部の団地と、「田舎のなかの田舎」で起こっていること>
日本は高度経済成長期に田舎から若者が流出したことで都市集中型の人口になりました。その若者は今、都市部の団地で一斉に高齢化しています。都市部では、30年後に高齢者が3倍になると予測される地区もあり、介護や医療だけではなく、生活そのものも限界を迎えることが想像できます。
一方で、島根県では、近くに市役所も病院もないような「田舎」若い世代の定住が進んでいます。そのような地区では、4歳以下の子どもが増え、30代の女性が増えています。島根県の2015年合計特殊出生率は全国2位の1.8%でした。
そうした「田舎」への移住者たちは、都市から離れた、本格的な「田舎」を求めているようです。耕作放棄地や空き家が増えていることは、移住者たちに新たな居場所を作っているとも言えます。
地区の人口推移を持続的にするために、どれだけの移住者を増やせばいいのか、ということは、人口予測プログラムによって算出できます。島根県全体では、あと2920人(1251組)です。人口のたった2%でいいのです。この2%を生み出すには、出生率の向上だけではなく、各年代バランスよい定住増加を目指すことが重要です。
<中和地区の人口予測>
中和地区の年齢構成は、10代後半から30代前半、40代前半から50代前半が少なく、バランスが悪い状態です。流入もみられますが、多くの世代で流出超過になっています。このまま経過すると、人口が減っていく一方です。小・中学生も、10年後には半減してしまう予測です。
例えば、出生率を1.33%から2.07%に上昇、10代後半~20代前半の流出を半減、毎年20代前半の夫婦、30代前半の子連れ夫婦、60代前半の夫婦を各世代1組、3世帯7人が中和地区に定住したとします。すると、人口は今の水準で安定し、高齢化率は低下していきます。そして小・中学生は1.5倍に増加し、安定します。
中和地区では、60代が元気なこの10年間に、次世代が定住し、老後も安心な地域づくりを行うことが不可欠です。
<所得の1%を取り戻す>
中山間地域における食料の調達状況を調べてみると、ほぼ半分が地域外で購入され、地元産は全体の5~6%しかありません。燃料の地元自給率はほぼ0%のところが大半です。
何にどれだけ、お金を使っているのか。一軒一軒の家計を調査してみました。特に外食は地域外、また、アルコールもほとんど地域外から購入しています。また、肉類・菓子・パン類は消費額が大きいことが分かります。購入額、消費額が大きいということは、逆に潜在需要があるということです。
自分が得た所得(お金)を使って地域外でものを買うということは、地域の外に所得(お金)が出てしまっているということです。自分が使っているお金のうち1%を地域内で使うようにすれば、地域に所得を1%取り戻すことができます。それによって、地域に新たな生業も生み出すことができるのです。
次に、「魅力ある教育が地域再生の鍵」をテーマに、中和小学校元校長の大盛陽子氏、中和小学校の教員の江谷鮎美氏、西粟倉村教育長の関正治氏、西粟倉村特色ある教育コーディネーターの鳥越厳之氏にご協力いただき、事例紹介を行いました。
■中和小学校事例紹介「へき地小規模校の教育」① 中和小学校元校長 大盛陽子氏
中和小学校は、全校児童数が36人。今年の1年生は1人でした。1・2・5・6年生は、1学年1学級、3・4年生は2学年1学級で、全部で5学級があります。学区は旧中和村域の4キロ平方メートル程の範囲で、3分の1が徒歩通学、残りはバス通学です。両親と同じ敷地内に、若いUターン夫婦が家を建てて一緒に住んでいる三世代同居の家庭が多くあります。2~3人兄弟が多く、4人兄弟の家庭もあります。
授業は、基本的に2学年合同で学習しますが、算数は1学年ごとに学習します。子どもたちは、2年分の教科書を持っており、2年間で2年間分の教科書の内容を学びます。縦割りの班活動は全学年で行います。
中和小学校の大きな特徴は、少人数教育である、ということです。子どもたちは、お互いの顔と名前が分かり、高学年の児童が自然にリーダーシップをとって行動しています。36人という人数は、集団としてまとまりやすく、縦割りの人間関係が形成しやすい人数だと感じています。また、個に応じたきめ細かい指導がしやすいという特徴もあります。
一方、マイナス面としては、人間関係の固定化によって多様なコミュニケーションの機会が少ないことや、先生が手を掛け過ぎてしまう傾向がみられます。また、自然体験は豊富である半面、文化的経験(たとえば、音楽会や美術館に行く機会など)が希薄で、学習塾・学童保育・スポーツ少年団が地域になく、学校や家庭の教育力に頼っている部分が大きいということがあります。
<中和地区の教育>
そういったへき地小規模校のデメリットも、地域の密な人間関係を活用しながら克服できると感じています。例えば、中和地区には「子どもは地域の宝」という考え方があり、子どもの見守り活動が活発です。子どもたちの良きモデルとなる大人もたくさんいます。ふるさとに誇りをもち、それを外に伝えようと活動している大人たちを、子どもたちは身近に見ていて、「アシタカの赤木さん(地域で薪ビジネスを展開)のように働きたい」「地域に役立つ仕事をしたい」という子どもも多くいます。保護者も学校の活動にとても協力的で、何かトラブルがあっても、顔の見える関係を活かして保護者同士で解決しますので、大きな問題になることはほとんどありません。子どもたちは落ち着いた学習環境で、本来の教育業務に専念することができます。
こうしたことから、へき地小規模校だからこそできる教育があり、大規模校ではできない特色ある教育活動ができると感じでいます。
特色ある学習づくりの中核として、中和小学校では「中和いきいき学習」を始めました。これは、西粟倉の「ふるさと元気学習」に学び、進めてきたものです。
学校の使命は「未来の社会、地域を担う人材を育てる」ことです。中和地区の特色を活かした教育活動を行うには、豊かな自然を生かした体験活動、地域住民と連携・協力した教育活動が軸になると考えました。また、西粟倉では、活動を行うこと自体が目的にならないように、子どもたちの「どんな力を育てるのか」を明確にすることが大切だと教わりました。そこで、「育てたい力」を3つ考えました。「いろいろな感覚を通してものを見る目と気づく力」「ものごとを関係的に捉える力」「自分のこととして考え、実行する力」です。
「中和いきいき学習」では、授業とは違って「教える」ことはほとんどしません。活動を通じて「育てたい力」を子どもたちが自ら学んでいくように進めています。
■中和小学校事例紹介「へき地小規模校の教育」② 江谷鮎美氏
今年度の活動では、NPO法人 アサザ基金の飯島博さんを講師にお招きし、自然界の有機的な関係性が「『ありがとう』でつながっている」ことをお話してもらいました。この授業をきっかけに、子どもたち自身が、地域で「『ありがとう』のつながり」を探す活動を行いました。中和の川の水質や生き物について調べたり、昔の川での遊びや暮らしなどについて、地域のおじいさん、おばあさんに教えてもらったりしました。その後、教わったことを、いきものふれあいの里の柴田加奈さんと一緒に整理しました。そこで子どもたちは、「自然・人・いきものが『ありがとう』でつながっていること」をふたつ見つけました。
ひとつは、牛とホタルと川の「ありがとう」です。昔はどこの家でも牛を飼っていて、牛は川辺で草を食べていたそうです。そのおかげで川辺はきれいに保たれていた話をおじいさんから聞きました。子どもたちは、「牛は、川に草を食べさせてくれてありがとう」「ホタルは牛に、川をきれいに住みやすくしてくれてありがとう」という関係性を見つけました。
もうひとつは、川と人と魚の「ありがとう」です。昔は、各家庭に「つかい川」という水路があり、野菜や食器、おむつなどを洗っていたそうです。麦の付いた釜を川で洗うと、その麦の粒をエサにしていたムギツクという魚が集まった、と聞きました。子どもたちは、「ムギツクは人に、エサをくれてありがとう」「川はムギツクに、川をきれいに保ってくれてありがとう」「人は川に、きれいな水で釜を洗わせてくれてありがとう」という関係性を見つけました。
<いきいき学習の成果>
「中和いきいき学習」では地域の方と密接に関わり合いながら、ふるさとの良さについて感じる学習を進めています。知識を教え込むのではなく、ものごとの本質を子どもらしい言葉で考え、見つけていくことを大切にしています。子どもたちは、地域の良さに気づき、自分の生まれ育った地域を知ろうとする主体性が見られるようになりました。また、西粟倉小学校と手紙を通じて交流し、仙台市で開催された「学校の森・子どもサミット」で活動を発表して、コミュニケーションの場が増えました。地域にとっては、一人暮らしのお年寄りに子どもたちが元気を与え、子どもたちは人の役に立てる嬉しさを感じる相互作用も生まれています。また、昔の暮らしを直接、地域のお年寄りから学ぶことで、知らず知らずのうちに先人の知恵や工夫が少しずつ身に付いているのではないかと感じます。また、他県から地域に入った保護者が子どもを通じて中和地区を学び、もっと良くしていこうという機運が高まる機会になるという、想定外の効果もみられました。
<これからの課題>
今、学校は地域から切り離された存在になっています。昔は農繁休業というものがあり、田植えや稲刈りの時期には、子どもたちも手伝いに出ました。逞しい農民として生きていくための取り組みが、学校にもありました。現在は、全国のどの地域で教育を受けても、一定の水準の教育を受けられるようになった反面、学校は地域に目を向ける余裕がなくなっています。どのようにして、学校を地域の教育機能として回復できるかということは、これからの課題だと考えています。
「地域にとっての子どもの大切さ」はよく語られますが、「子どもにとっての地域の大切さ」はあまり語られません。子どもの成長にとって地域の中に学校があることの価値をどこに見出していくのか、考える必要があると思っています。また、現在よりもさらに児童が減少していった場合の学校のあり方、他の小学校区の子どもと一緒に通うことになる中学校への教育ギャップなどの課題についても取り組むべきだと考えています。
■西粟倉村事例紹介「地域の拠点としての学校」① 西粟倉村教育長 関正治氏
西粟倉村は、岡山県の最北端で、鳥取県、兵庫県との県境に位置します。面積は、57.97㎢という非常に小さな村です。昔から林業が盛んで、森林の85%が人工林です。最盛期に3,000人いた人口は、2016年11月1日現在1,474人になりました。団塊の世代よりも80代後半が多く、高齢化率は35%です。流入もあり、雇用も生まれていますが、高齢者が多い分、人口は減る傾向にあります。デイサービス等の通所の介護施設はありますが、入所施設はありません。幼稚園・小学校・中学校は各1校ずつあり、園児は42人、児童数は78人、生徒数は32人です。保育所はありませんが、0~2歳の託児施設があります。
岡山県には周辺市町村と合併しない村が4つ残りましたが、その一つが西粟倉村です。山林財産があり、昭和20~45年は木材が売れて裕福だったため、県からの「大原町への合併勧告」を昭和34年に拒否したという歴史があります。また、平成の合併の際には、18歳以上の住民全員へのアンケート結果をもとに、新市合併協議会を脱退しました。
その後、役場職員、観光職員、森林組合職員が「持続可能な村づくり」について徹底的に話し合いました。重要な事業ひとつが、森林資源の再生でした。伐採期を迎えた50年生の人工林を長伐期化させ、100年の森林づくりを進めました。森林事業は、一世代で出来るものではありません。親が苗木を植え、子世代がそれを手入れし、孫世代が成長した木を伐ります。植樹から伐採まで100年かかるのです。
「森林とともに生きる村」としての覚悟を決めてからは、行政と民間が役割分担をしながら進めていきました。役場は零細林業家の集約化を行い、森林組合は山の手入れを進め、株式会社「西粟倉・森の学校」が木材の加工販売を進めました。「森の学校」は村民が株主となり、間伐材を商品化するなど、村の商社的役割を担っています。30代の若手社長をはじめとして、多くのIターン者が集まるシンクタンク機能も担っています。現在では、「起業の村」と呼ばれるようになりました。木製遊具、ヒノキの椅子、菜種油、草木染、お酒の出張バー、帽子製造、民宿など、様々な分野で起業する若者が増えています。
<学校は地域の拠点>
西粟倉小学校では、「あいさつ運動」を奨励し、進めています。あいさつはコミュニケーションが始まるきっかけとして、とても重要です。子どもたちが「おはようございます」「こんにちは」とあいさつする姿は、村の人々、特にお年寄りを元気にしてくれます。子どもと高齢者のふれあいの場もあります。氏神さんのお祭り、昔遊び、高齢者運動会など、地域に積極的に出ていくことで、子どもが元気を発信しています。
学校も、学習発表会、公開授業参観など、学校行事への参加の機会を広げています。また、「田植えをしにおいで」「栗がたくさん落ちたから拾いにおいで」など、地域からのお誘いも多く見受けられます。学校では、給食の食材を提供してくれる方々と一緒に給食を食べることもあります。その他、地域パトロール、学校支援ボランティア、学校評議員会など、地域の方が様々な形で子どもの教育に関わっています。
<子どもが育つ場面をつくる>
豊かな自然体験は、五感を鍛えます。例えば、人間は何千という匂いをかぎ分ける力がありますが、幼少時はその能力が十分に引き出されていません。自然に囲まれた環境は、そういった能力を引き出すのに最適です。人間が本来持っている生きる力を湧き出させてくれます。また、そういった場所で主体的に感じた感動や疑問からは、探究心が生まれます。これは、子どもにとって非常に重要な意味を持っています。
家族や地域の人から愛情を感じることは、自尊感情を育てます。ふるさとを愛するきっかけにもなります。役割を与えると、子どもはその役割を積極的に演じ、行動します。そのことによって自分自身の存在感を感じるようになるのです。また、年齢に差がある集団で活動し、縦のつながりを身に付けていきます。こういった場面を、大人がつくってあげることで、子どもはどんどんと育っていきます。
アフリカのことわざに「子ども一人を育てるのに村中の人がいる」という言葉がありますが、これがまさに西粟倉の感覚です。
西粟倉村では、「森林とともに生きる村に、ふさわしい教育をつくる」という教育振興基本計画を作成しています。この計画の基本は、「ふるさとの人や自然に学び、体験を繰り返しながら、生きる力を育む取り組みを推進する」ことです。幼稚園・小学校・中学校で一貫した教育を目指しています。
「五感を鍛え、ふしぎを育てる活動」から始まり、村全体を題材とした「ふるさと元気学習」で探究心を身につけ、徐々に「自ら考え学び合う授業」へとつなげていきます。それぞれの段階で、一貫しながら繰り返し、進めていくことが重要です。
西粟倉村には、村を愛する支援者がいます。そうした方々が村の教育を支えています。塾がなくても成績が落ちることなく、少人数だからこそ十分に通用する学力も身につけることができると考えています。人間性が豊かな子どもを育てることが最も大切です。それができるのが、西粟倉や、ここ中和地区だと感じています。
■西粟倉村事例紹介「地域の拠点としての学校」①
西粟倉村 特色ある教育コーディネーター 鳥越厳之氏
私は11年間、西和倉小学校に勤務し、「ふるさと元気学習」を進めてきました。現在は、幼稚園の教育アドバイザーとして、取り組みを進めています。今回は、その取り組みの一部を紹介します。
レイチェル・カーソンは「知ることは感じることの半分も重要じゃない」という言葉を残しています。私は、先生方と「教えることは引き出すことの半分も重要じゃない」ということを合言葉に活動しています。
子どもたちと一緒に森に入ったら、先生も一緒に活動を楽しむようにします。その次に、子どもの目線を合わせて、子どもたちの話を聞きます。すると、子どもたちは思わず話したくなります。最後は、子ども同士のコミュニケーションが豊かになるように、子どもたちをつないでいきます。それが先生の役割だと考えています。
次第に、子どもたちは匂いを嗅いだり、手で触ったり、耳で聞いたりと、自ら行動し始めします。そして、手を繋いだり、小さい子を助けたり、子ども同士で自然と助け合いが始まります。見つけたものは、お互い教え合います。そして、相手の行動に対して、「いいね」や「ありがとう」の言葉で、お互いの良さを認め合う関係性を形成していきます。
自然の中でのびのびと活動するなかで、五感を鍛え、助け合い、教え合い、認め合う力を少しずつと身に付けていくことを大切に、子どもたちを育てていきたいと考えています。
次に、事例紹介をしていたいだ大盛陽子氏、江谷鮎美氏、関正治氏、鳥越厳之氏に加え、中和小学校PTA会長の土肥真由美氏、塾長の澁澤寿一氏(認定NPO法人 共存の森ネットワーク理事長)によるパネルディスカッションを行いました。途中、会場から大美康雄氏(中和地域づくり委員会)にもコメントをいただきました。(コーディネーター 吉野奈保子)
■パネルディスカッション「魅力ある教育が地域再生の鍵」
【吉野】中和小学校、西粟倉小学校の事例をお話いただきました。共通する点は、地域コミュニティが教育と密接に関わっているということだと思います。一方、都会には、地域ではコミュニティ自体、成り立っているのか、保護者同士のつながりはあるのか、という疑問があります。世田谷区で教育委員長を務めていらっしゃる渋澤さん、いかがでしょうか。
【渋澤】都会の場合、保護者同士はソーシャルネットワークでつながっています。学校の情報は、SNSを通してあっという間に流れる。それは、先生に対する保護者同士の噂話も含めてです。SNSでの情報交換が活発である一方、東京のマンションでは「住民同士、お互いに挨拶をするのは止めよう」と自治会で決めたところがあります。防犯上、子どもが知らない人に挨拶するのはよくない、という考えからです。SNSではつながっているけれども、顔の見える関係は非常に希薄になっている。それが都会のコミュニティの現状です。
【吉野】一般に、子どもたちには競争心をもたせることが大切で、それによって学力も伸びるといった考え方があるように思いますが、それに対してはいかがでしょうか。
【渋澤】これは、いろんな研究機関が発表していることですけれども、たとえば今の小学校5・6年生が、大学を卒業するとき、つまり、これから10年後には、現在ある職業のうち半分以上の職業はなくなるともいわれています。そうなると、いわゆる偏差値に象徴されるような狭い意味の「学力」をつけることが、子どもたちにとって、どれほどの意味があるのかということになる。ようやく文科省でも、子どもが「主体的にものごとを考える」教育が重要だといわれるようになりました。「主体的に考える」ということは、教室の中だけではできません。教室では、先生から一方的に知識が与えられます。一方、自然の中では、多様な情報を五感で受け止める。そして自ら判断し、対応することが求められる。あるいは、お互いが認め合い、助け合うことが重要になります。そういったことを教育の主眼においている西粟倉や中和小学校の事例は、非常に先進的な取り組みで、これからの日本の教育が向かう方向を的確に示しているといえます。
【鳥越】 私はもともと小学校で教員をしてきましたが、幼稚園に関わるようになり、園児の様子を見る中で、改めて「人が学ぶ」ことの本質は、年齢が幼くても何ら変わりないということに気づきました。それは、先生が子どもに知識を「教える」、一方的な教育ではありません。いかに「促して」、子どもたちの自身から答えを「引き出す」のか。さらには、子ども同士で「学び合う」ように促していくか、ということです。それは、この塾のように、大人同士が「学び合う」姿と何ら変わりありません。
〈地域になぜ教育は必要か〉
【吉野】関教育長は、以前は、高齢者福祉のご担当だったと聞いています。西粟倉では、地域のお年寄りが、教育に関わる場面が多くあると伺いましたが、高齢者と子どもたちの教育をうまくつないでいくことで、教育と福祉、双方の課題を解決できることがあるでしょうか
【関】高齢者にとっては生きがいを感じられること、地域の中で役割があるということが重要です。いろんなお年寄りの人生を見てきましたが、大切なのは、亡くなられる瞬間に、この世の中で、生きてきて良かったと、人生を肯定的に捉えることができるか、ということです。そう考えると、人生に対して満足だと思えるマインドをいかに育てていくのか、ということが、教育や福祉の究極の目標になります。幸福感をもてること。人との関係の中で感謝の気持ちが芽生えること。その結果、心が安定すること。そういった教育は、生涯学習の中でもやっていきたいと考えています。
【吉野】一方で、子どもたちにとって地域に学校があることは、なぜ大切なのでしょうか。大盛先生、どう思われますか。
【大盛】 よく学校統合問題で話題になるのは「地域にとって学校がなくなっては困る」ということです。では、「子どもたちに地域に学校があることは、なぜ必要なのか」といった視点では、あまり議論されていないと思います。先ほどの西粟倉の事例では、「子どもは地域の宝」だという話がありました。子どもが、地域の大人たちの愛情を日々感じることは重要です。子どもの自尊感情や郷土愛を育てるといった観点からも、地域に学校があることは大切だと思います。
【江谷】 もしも中和小学校がなくなったらと想像してみました。朝早くにスクールバスに乗って、他地域の学校へ行き、夕方戻ってくる。そうすると、子どもたちは日中の中和の様子を知ることができなくなります。おじさんが稲刈りをしているとか、いつも同じ時間にお爺さん、お婆さんが道を歩いている。そういった風景を見ることができなくなります。そうすると、地域のことに関心がなくなるのではないかと思いました。また、「いきいき学習」を始めて、とてもたくさんの地域の方と交流するようになりましたが、それがなくなってしまうと、子どもたちが地域の人を知ると同時に、子どもたちを地域の皆さんに知っていただく機会は少なくなります。地域の中で子どもたち自身の存在感が薄れてしまうのではないかと思いました。
【大美】 小学校は、風土や歴史、伝統を含んだ地域のアイデンティティ、心の拠りどころです。中和に未来や希望を感じる子どもを育てていきたいという思いは、いつもあります。
【吉野】 西粟倉村の場合は、ひとつの村にひとつの幼稚園、小学校、中学校ですから、村の将来を考えても、学校は重要ですよね。
【関】 はい。村の生き残りを考えときに、学校の存在は非常に重要です。ある一定の人口を維持しないと、経済も、福祉や教育も成り立たなくなります。なので、持続可能な地域であるためには、誰かに地域に住んでもらわなければならない。現在はIターン者にねらいを絞って事業を進めています。小学校の児童数が10~15人、できれば20人を維持できることが、地域の勢いを測るひとつのバロメーターかもしれません。極端な言い方をすれば、子供は、どこでも育ちます。でも、地域には小学校を残したいと考える。それは、子どもから、たくさんの元気をもらっている私たち大人の願いです。
<これからも元気な地域であり続けるために>
【吉野】 大盛先生は、真庭市美甘の出身で、中和地区には、校長先生として初めて赴任されて、地域とも関わりをもつことになりました。その当時の印象はいかがでしたか。
【大盛】 3年前に中和に赴任したとき、中和村の花「ささゆり」がスクールバスに描かれ、マンホールのデザインにもなっていて、中和のいたるところにあるということを知りました。ですが、子どもたちはそのことは知りません。昔から大事にしている「ささゆり」を、何故、知らないのだろう。もっと地域の良さを子どもたちに知ってほしいと思ったことが「中和いきいき学習」の出発点でした。私自身が子どもと一緒に知りたい、学びたいという気持ちが強かったことも、この学習を進めていくエネルギーになりました。
【土肥】 私たち保護者は、大盛先生が赴任してきたときに「こんな熱い先生がいるんだ」とびっくりしました。子どもたちに対して、すごく愛情を持って接していただきました。一緒に喜び、悲しみ、共感してくださる先生がいて、安心して子どもを学校に預けることができました。
「中和いきいき学習」が始まって、子どもたちは地域を元気にしてくれていると感じています。現在、6年生は8人しかいませんが、夏に仙台市で開催された「学校の森・子どもサミット」では、子どもたちが一丸となって活動発表をすることができました。先生方の熱意が、子どもたちの元気な発表を後押しし、それによって保護者も勇気をもらいました。また、子どもたちだけでなく、60代以上の方が地域のために頑張っていただいている。だから、私たち保護者世代も、地域のこれからを考えいきたいという気持ちになりました。
【吉野】これから、具体的に取り組みたいと考えていらっしゃることはありますか?
【土肥】今、中和小学校の児童数は36人ですが、6年生が卒業すると子どもの数はさらに減り、複式学級となって、先生の数も減ります。今でも運動会は、子どもの人数が少ないために、子どもたちは一日じゅう走りまわって、休む間も、応援する間もない状態です。このまま子どもの数が減る場合には、運動会を続けること自体、厳しくなるだろうと感じています。そこで、中学生以上の住民を集めて、学校活動を支えていくボランティア集団「いきいきサポータークラブ」(仮)を新たに作りたいと考えています。もっと人数が少なくなってしまってからでは遅い。保護者も子どもも、まだ人数がいる今のうちから、応援団をつくっていきたい。小学校とあわせて、保育園の活動も手助けし、未来のPTA世代の支えにもなりたいと思っています。
【澁澤】いろんな地域で、住民が当事者意識をもって学校教育に関わるという、コミュニティスクールと呼ばれる取り組みが広がっています。そのときに、都市部のソーシャルネットワークでつながるコミュニティと、中和のコミュニティとは全く違うと私は思います。人間が顔を合わせて共感できる感覚をもつことが可能な集団は1500~3000人が限度と言われています。中和はそうした共感をもつことが可能なコミュニティであり、代々この自然の中で生きてきた歴史なり、伝統があります。都会のように、ただ大勢の人がそこに集まって住んでいるのとは違う。地域が子どもに伝えていきたいこと、その価値観は、まるで違うと思うのです。
一方で今の社会では、幼稚園・小学校・中学校と、どんなに良い教育をしても、その後の進学や就職に、必ずしもつながっていかないというジレンマがあります。現在の教育は、詰まるところ、ホワイトカラーをつくるための教育です。でも、皆さんも感じていらっしゃるとおり、これからはホワイトカラーが必ずしも幸せとは限らない。子どもたちの教育のあり方は、その後の彼らの生き方、働き方も含めて、多様で、かつ持続可能な価値にもとづいた社会の実現と、実は、表裏一体の課題なのです。子どもたちのために、どんな未来をつくるのか。親、先生、地域が、皆で話し合う場をつくっていくこと。それが、これからの地域の教育のスタート地点だと思います。
2日目は、大島光利氏(奥矢作移住定住促進協議会 会長)に岐阜県恵那市串原地区の取り組みをご紹介いただきました。
■レクチャー「古民家リフォームが結ぶ―地元と都市住民と移住者の関係―」
岐阜県恵那市串原地区にある矢作川ダムは、高さ200m、幅330mあります。ダムの左岸が愛知県豊田市で、右岸が串原地区です。串原の地形は丘陵地で、山とダムの間の限られた狭い土地に民家があります。人口は820人程度で、高齢化が進んでおり、高齢化率は44%です。そういう状況のなか、どうにか自分たちで地域を再生していこうという思いで活動しています。
<NPO法人奥矢作森林塾と奥矢作移住定住促進協議会の成り立ち>
平成12年9月12日に、東海豪雨と呼ばれる大きな災害がありました。矢作川ダムには、35,000㎥もの木が流入しました。このとき私は、消防本部で消防長として3名の部下を連れて、現場で指揮を執っていました。なぜこのような災害が起きるのか、初めて目の当りにした状況に危機感を覚えました。その後、平成17年3月に退職するまでの間、山の状態、山の管理について研究し、これから山をどうしたらよいのか考え続けました。串原周辺の山林は、戦後植えられたスギやヒノキの人工林が多くあります。春から秋まで景色が変わらない程です。山は管理されず、荒れたまま放置されています。昼間でも懐中電灯を点けないと歩けない、真っ暗な山です。この荒れた山をなんとかしなければ、災害は繰り返すと考え、平成18年4月に、NPO法人奥矢作森林塾を立ち上げました。今回、お話させていただく活動の主体となっている奥矢作移住定住促進協議会は、このNPO法人奥矢作森林塾が事務局となって運営しています。
<空き家調査>
空き家のリフォームに先立ち、平成20年度に空き家調査を実施しました。まず、地区の民家を一軒一軒見て回り、空き家になっているか確認しました。その結果、串原地区35軒、上矢作町123軒、計159軒の空き家があることが分かりました。
その後、空き家の持ち主を訪ね、意向調査を行いました。電話や手紙だけでは、こちらの思いは相手に伝わりません。必ず顔を見て、話を伺います。そのためには、まず空き家の持ち主が誰で、どこにいるのか調べなくてはいけません。個人情報であるため、役所へ行っても教えてもらえません。親戚を頼りに、あちらこちらへ走りまわって調査を進めました。東は東京、西は大阪まで足を運び、ご本人と直接顔を合わせて意向を伺いました。これに1年半程度かかりました。
空き家調査と並行して、移住者の受け入れ側となる地元の意向調査も進めました。現在住んでいる方々が、集落が消滅することを選ぶのか、再生して活気ある地域を選ぶのか、どちらかを選択するかというアンケート調査です。そして、移住者のお世話をできる人がどれだけいるか、これが一番重要です。地元の方には、「365日24時間、対応する気持ちで取り組んでください」と言いました。地元も覚悟を決めて取り組むということです。
移住定住事業の成功のカギは、地域側が主体となって事業を進め、そのうえで行政が最大限のバックアップをすることです。行政主導型では絶対に成功しません。必ず民間主導でやらなければならない事業だと思っています。
移住希望者には、まず家と農地と山林を購入してもらいます。家を借りて一時的に住みたいという人の受け入れはしていません。必ずここで、第2の人生を送ると決めた方だけを受け入れています。そういう方でなければ、一緒に地域をつくっていくことはできないと考えているからです。また、地域に入る上でのデメリットもたくさん伝えます。ドブ掃除や草刈りなどの共同作業があること、冠婚葬祭などのお付き合いなどです。一方で、受け入れ側の地元も変わっていかなくてはなりません。お互いに理解し、変化しながら地域コミュニティをつくっていきたいと考えています。
家を購入した移住者はまず、移住待機施設に入居します。さらに、1泊2日で年間10回実施する古民家リフォーム塾に参加します。この間、一緒に地域で暮らしていると、地元側も移住者がどんな方なのかを知ることができます。移住者の方も、受け入れ側である地域のことを少し理解できるようになります。そんな期間を経て、移住者は地域に入ります。
古民家リフォーム塾では、移住者が材料費を、事務局が大工さんの講師料を負担します。一般参加のリフォーム塾生には1回3,000円の参加費を払ってもらい、1泊2日の食事代に充てています。リフォームの作業は、地元の大工さんの指導のもと、移住者とリフォーム塾生、地元のボランティアで進めていきます。移住者は、材料費だけの安い費用で新居をリフォームすることができます。このようなかたちで、これまで24世帯66人の方に移住していただきました。すべてご家族での移住で、その多くは30~40代のご夫婦とそのお子様です。
移住者のなかには、住居を新築して移住した方もいます。串原地区一帯は農地法が厳しく、新築で家を造るには様々な制限があり、手続きが必要になります。測量、設計、開発許可、土地改良、建築許可、登記簿登録など、多くの書類を作成しなければならず、すべて別々の窓口での手続きが必要です。移住者は、どの書類をどこに持っていけばいいのか分かりません。そのため、これらすべてをNPO法人奥矢作森林塾がサポートしています。
<移住後のサポート体制、事業の成果と展望>
移住者は、すぐにでも畑で無農薬野菜を作りたいという方がほとんどですが、簡単ではありません。そこで、地元の人たちで援農隊を立ち上げて就農支援をはじめました。刈り払い機などの安全な使い方も教えます。
野菜づくりに加えて、移住者がすぐに始めたいことの一つが、薪ストーブです。薪をとるための山の作業は、死につながる事故が多く危険です。そこで、移住者は「串原・里山づくりの会」の講習や研修によって、チェーンソーの安全な使い方や、安全な木の伐り方を学びます。実際に山に入ると、まず山林の健康診断から始めます。そして、手入れがされず暗い森をどうするのかを、地主の方と一緒に考えます。生産林にするのか、里山にするのか、イノシシやシカと棲み分けができるような森にするのか。100年先を考えながら間伐や玉切りなどを進めていきます。その作業で出た材が、移住者の方の薪になります。
<事業の成果と展望>
移住定住事業を進めた結果、様々なかたちで成果が生まれています。移住者のうち若者2人は、就農してトマトづくりをやっています。串原は、夏秋トマトの栽培が盛んな地域です。昨年と今年のNo.1は、移住者2人のトマトでした。
また、私が設立から理事長を務めてきたNPO法人奥矢作森林塾では、若い移住者に理事長職を譲ることができました。現在、職員が6名いますが、その全員が若い移住者です。
何より嬉しかったことは、串原地区で小中学生が増えたことでした。恵那市内はどこも人口減少が激しく、小中学生が増えたのは串原地区だけでした。また、5年前と比べると、地区の人口は8人の減少に留まりました。日本の田舎は、再生する可能性はまだまだあると感じています。
<森林再生事業の取り組み>
「くしはら木の駅プロジェクト」では、地元の方が土場に持ち込んだ木材を、「モリ券」という地域通貨で買い取ります。集まった木材は、薪などに加工して地域内外に販売します。一方、「モリ券」は、地域内の商店で利用することができます。これによって、地域内でお金が循環する仕組みができました。
木材を搬出する作業道は、助成金を活用しながら自分たちで整備を進めています。また、山から出したたくさんの小径木を活用して、ダム湖畔の公園のベンチやテーブルを作り、設置しています。この公園の管理・整備もNPO法人奥矢作森林塾が市から委託を受けて行っています。
将来的には、串原地区の温泉「ささゆりの湯」に、地域材を使用する薪ボイラーを導入したいと考えています。導入すると、年間1,000t程の燃料が必要になります。現在、1t当たり6,000円程で取り引きしていますので、年間600万円程になります。それを地域の資源で賄うことで、地域の外に出ていた600万円のお金を地域内に取り戻す経済効果が生まれると考えています。
炭焼き事業では、ダムに流れ着いた流木をすべて炭に加工しています。深さ2m、幅3m、奥行10mの大窯を作って炭を焼いています。一度に60㎥が炭化できる日本一の炭窯です。焼いた炭は、床下調湿炭や土壌改良、水質保全などに利用しています。また、炭焼きによって1tの木酢液を採ることが出来ます。これは、稲のイモチ病の対策として利用しています。木タールも採ることができ、これはディーゼル燃料として利用できます。
流木炭は、小学校の子どもたちの学習材料にもなっています。流木炭を使った手作りの水質浄化装置をつくり、矢作川のダムの上流に設置しています。子どもたちは、ホタルの幼虫やエサとなるカワニナを放流して、ホタル祭りを開催するなど、環境学習の場となっています。
今後の課題として、やはり荒廃山林の再生による防災・減災が第一です。次に、たくさんのイベントを開催して、都市の方に訪れてもらうこと、そして移住者を増やすことです。人口の減少は全国的な問題ですから、人口増は望めないと思います。ですが、空き家ゼロは可能です。現在、串原の空き家は36軒から4~5軒まで減少しました。一方、移住希望者は15人程の方が待機している状態です。可能性は大いにあります。
様々な課題はありますが、地域の課題はすべて地域で取り組む覚悟で、これからも組織のレベルアップを図っていきたいと考えています。そのうえで、行政が最大限のバックアップをする。そのかたちが、これからの地域づくりだと思っています。
■ワークショップ「住民と塾生が語り合う『中和地区の未来』」
次に、住民と塾生が語り合う「中和地区の未来」と題して、ワークショップを行いました。中和地区の課題や困りごと、良いところや可能性、どうしたらもっと良い地域になるかなど、4グループに分かれて話し合いました。各グループには、中和地区の方にも入っていただき、お話を伺いながらワークを進めていきました。
■住民と塾生が語り合う「中和地区の未来」 各グループ発表内容
<グループ①>
◆課題、困りごと
・人口が減っていくと、集落の行事を続けていくのが大変。自治会長や体育委員などの役員もすぐに回ってきて負担を感じる。
・サラリーマン世帯が多くなったので、行事にあわせて、みんなが都合を合わせるのが難しい。
◆いいところ、可能性
・親戚が近所にいるので、子どもや高齢者の見守ってもらえる。
・食料品は移動販売があり、コミュニティバスも利用できて、比較的生活しやすい。
・車で日本海側に出るのは楽。倉吉市が近く、買い物にも便利。
・地域にみんなが集まれる場所があるといい。無料で集まれるお茶会のような場を作ることも大切だが、逆に、少しでもお金を払ってもらう方が、遠慮せず敷居が低い場になるかもしれない。焼肉屋、立ち飲み屋など、安くて一杯飲めるようなお店、何かのついでに、立ち寄れるような場所があるといい。小学校のPTAの方から「パン製造部」の活動がワクワクして楽しいという話があった。問題に立ち向かうという姿勢よりも、ちょっとした楽しさを見つけることが、地域活性化のきっかけになるかもしれない。
<グループ②>
◆課題、困りごと
・60代は人数が多いが、20代は少ないなど、世代バランスがとれていない。同級生がいると地域に戻ってきやすいが、少ない世代は戻ってきづらい。
・地元で新しいことをやろうという人がなかなかいない。ナリワイが少ない。
◆いいところ、可能性
・小学校は少人数で教育が手厚い。
・水、温泉、森林など、自然資源が豊富。雪があってスキーなどのスポーツができる。
・移住者が増えた結果、移住者の動きに対して、地域が寛容になってきた。
・移住希望者が、地域の情報を得られる窓口があるといい。空き家情報や仕事、生活に関わる情報のほか、地域にどんな人が住んでいるのかが具体的にわかるといい。移住を迷っている人にとって不安を解消するきっかけになると思う。子どもの教育のために移住を考える人も多いはずなので、中和小学校の教育は、もっと積極的に発信するといい。他にも、津黒高原荘などの既存施設をもっと活用できるといいい、といった意見が出た。
<グループ③>
◆課題、困りごと
・現在、農業に従事者いる世代が、10~20年先も農地を維持しているかどうかわからない。鳥獣被害も増えている。
・小学校の存続が心配。なくなってしまうと、子どもたちの世代の地元愛が薄れてしまう。将来、子どもたちが中和に残ってくれるかどうか心配。
・子育てが終わると、母親同士のつながりが薄くなってしまう。他に、つながる場所がない。
◆いいところ、可能性
・自然が多く、空気がきれい。当たり前の事だけれども、地域外に出たり、地域外の人に言われて改めて気づく。
・地域の人が協力的で、フラットな人間関係が築かれている。
・顔の見えるつきあいを続けて行くことが大切。また、真庭なりわい塾など、外部の人の意見や視点を地域の人にも知ってもらい、地元の人が改めて地域の良さに気付く機会が増えるといい。小学校の運動会を、子どもと保護者だけではなく、地域内外の人がボランティアで参加する運動会に変えていきたいという、PTAの皆さんのアイディアに共感し、参加したいという意見も出た。
<グループ④>
◆課題、困りごと
・高齢化で農業をリタイアする人に後継者がおらず、耕作放棄地が増えてきている。耕作を放棄した場所の近くには獣害も増えて、対策をしていかないと田畑を維持できない。農業を続けることがどんどん大変になるという悪循環が起きている。
・昔は庭を手入れするのと同じように森を管理していたが、薪をとるなど、木材を利用することが少なくなり、森が使いづらくなってきている。
・80~90代の方はすごく元気。外に働きに出ている60代以下の人は、地域のことにはなかなか目が向かない。
◆いいところ、可能性
・共同の草刈り、野焼きなど、みんなで地域をきれいにする仕組みが今も残っている。
・移住者が頑張っていて、地域の人もそれを認めるという、いい関係が出来ている。
・土地の高低差が少ないので、農業がやりやすい。
・移住者をもっと呼び込むための工夫があるといいという意見が出た。すでに移住した素敵な方が多いので、その方たちを介して次の移住者のケアをする仕組み、移住者と地域の方をつなぐ仕組みなど。獣害の原因であるイノシシやシカを使って、ジビエ料理をやってはどうか、という意見も出た。
最後に、塾長の澁澤寿一氏(認定NPO法人共存の森ネットワーク理事長)より、2日間の講座を総括して、コメントをいただきました。
■まとめ「真庭なりわい塾が目指すもの」
今回の講座では、地域の課題を考えました。昨日は、藤山浩さんが人口と地域経済に関しての課題と、それに対する処方箋の話をしてくださいました。そのあと、中和小学校や西粟倉の教育現場では、子どもたちがきめ細やかに、かつ、地域の中で育てられているというお話を聞くことができました。それから、今日は、空き家の課題とあわせて、移住者の受け入れを地域がどう考えるのかという話がありました。
ワークショップでは、こういった地域課題をどう解決するかというスタンスで、塾生のみなさんに取り組んでいただきました。ですが、本来は、課題を解決するというスタンスではなく、皆さん、ひとりひとりが当事者として、どういう社会を幸せと考えるのか。それぞれが、とういう暮らしをつくっていくのかというスタンスで、ぜひ考えてほしいと思っています。
というのも、私は、海外で仕事をしていた経験があるからです。大学院の博士課程にいた頃はアフリカのガーナで半年ほどFAOの委託の仕事をしていました。その時、私と一緒に仕事をしていたのは、農水省の30代の若手職員たちでした。彼らはヨーロッパやアメリカで教育を受けて、アフリカの新興国であるガーナを少しでも良くしようと、情熱を傾けていました。様々なモデルをつくり、それをFAOで発表して、いざ実践するというときにクーデターが起きました。一緒に仕事をしていた5人全員が殺されました。
エクアドルでマングローブの植林をしていたときも、同じようなことがありました。貧しい黒人の集落で、活動の中心は、集落のお母さんたちでした。彼女たちは、100ドルで建てた小さな宿屋を経営して、その収益でマングローブ林の保全を進めました。ところが、現地の人には、外国人と上手くつながり、金儲けをしていると見えたのです。たくさんのお母さんたちが殺されました。
こんな出来事は、世界中で頻繁に起きています。アフリカやスラム街の子どもたちは、毎日、この一日をいかに生き延びようかと必死に考えています。一方で、日本で暮らす私たちには、異常なほど、豊富な選択肢があります。地球規模でみると、みなさんはすごい特権を持っているということです。それを上手く活かして、どういう社会が幸せなのか、どういう地域をつくるのか、そこに自分がどう関わるのかを改めて考えてほしいと思います。
■塾生の感想
<講義「田園回帰1%戦略」、中和地区の将来人口予測について>
「『1%でいい』という言葉は、『やってみよう』という気持ちになれる言葉でいいなと思いました」
「若い世代ばかりがたくさん移住するのではなく、各世代に1組ずつ移住することで少しずつ目標に近づけるという考え方が新鮮でした」
「『選ばない地域は選ばれない』という一言が印象的でした。こんな地域にしたいから、こんな人に来てほしいというビジョンを明確にすることが第一歩だと感じました」
<事例紹介とディスカッション「魅力ある教育が地域再生の鍵」について>
「地域でどのように子どもを育てていくのかが、地域の未来をつくることにつながると感じられました」
「中和と西粟倉の先生・保護者・地域の人がとにかく熱いと感動しました。子どもや将来のことをとても考えている地域は素敵だと思いました」
「教育というと子どもばかりに焦点がいってしまいますが、子どもの教育と通じて、大人も学び、地域を見つめるきっかけになると感じました」
<レクチャー「古民家リフォームが結ぶ」について>
「受け入れ側に、365日24時間体制でやろうという覚悟があるからこそ、移住者が増えているのだと感じました」
「良いところだけでなく、デメリットもしっかりと伝えるという誠実な姿勢が定住の結果につながっていると思いました」
「問題意識を持って、地道かつエネルギッシュに取り組み、地域を動かしている姿に心を動かされました」
<グループワーク「住民と塾生が語り合う『中和の未来』」について>
「地元の人は、人口減少に対して悲観的になるというよりも、どうすれば地域をよくしていけるかを前向きに考えていると感じました。数字で見るより、さらに生活・実感に近い話を聞くことが出来ました」
「地元の方から、聞いた課題や可能性は、すぐに解決できるものではないが、取り組みのアイディアをいろいろと考えることができて、ワクワクする時間になりました」
「もっと地元の人たちと話がしたいと思いました。これから何か協力してやっていきたいです」
<まとめ「真庭なりわい塾が目指すもの」について>
「どういう社会や生活が良いか考え、それを選択できること自体が幸せなのだということに改めて気づかされました。」
「自分や子どもたちの『幸せ』を継続的に考えていきたいと思います。」
■おわりに
今回も地域のコミュニティハウスに宿泊させていただきました。一の茅集落と別所集落の皆様、ご協力ありがとうございました。
次回の講座は12月10、11日(土・日)、「経済と地域~自分でみつける豊かさと幸せの基準~」をテーマに開催します。
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真庭なりわい塾 第7回講座
「中和の未来を考える」
開催日:2016年11月12、13日(土・日)
会場:中和保健センター「あじさい」
内容:
(1)レクチャー「田園回帰1パーセント戦略―地元に人と仕事を取り戻す―」
(2)事例紹介とパネルディスカッション「魅力ある教育が地域再生の鍵~中和と西粟倉の事例から~」
(3)レクチャー「古民家リフォームが結ぶ~地元と都市住民と移住者の関係~」
※資料奥矢作移住定住促進協議会の活動①.pdf 奥矢作移住定住促進協議会の活動②.pdf
(4)ワークショップ「住民と塾生が語り合う「中和地区の未来」
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