第7期基礎講座 地域の産業と暮らし~食と農~

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7月22日(土)~23日(日)に、第7期真庭なりわい塾の第2回基礎講座を実施しました。今回の講座では、高度経済成長期を境に、食の自給がどのように変化したのかを調べるために、地域のお年寄りへの聞き取りを行いました。また、地域で農業を営む方とのディスカッションなどを通して、私たちの身体や環境と深いつながりのある食と農について考えました。

〇「食と農の変遷」 副塾長 駒宮博男(NPO法人地域再生機構理事長)

私は岐阜県恵那市に移住して以来、家族が食べる米や野菜のほとんどを自給しています。食と農の根本は「身体性」です。私たちの身体は間違いなく、毎日の食によって出来ています。私たちの身体の体細胞の数は37兆とも、60兆個ともいわれています。体細胞は、食べたものによって絶えず新しいものになり、ほぼ3ヵ月で入れ替わります。そして私たちの身体の中の微生物(主に細菌)は100兆個、ウィルスの数は380兆個ともいわれています。これらすべてを含め、私たちの身体なのです。

人は死ぬと肉が腐って骨だけになります。最後は塵となって風化しますが、質量保存の法則にのっとっていえば、決してなくなることはありません。ただ、カタチを変えているだけです。私たちの身体は、自然の大きな循環の一部なのです。ですから、食や農について考えることは、あなたそのものと、あなたを取り巻く環境すべてを考えることです。

日本の米の1反(=10アール)あたりの収量は、昔に比べると飛躍的に上がりました。なぜかというと、化学肥料や農薬を使うようになったからです。

昔は、年間1人1石(約150キロ)の米を消費していました。現在は、1人1俵(約60キロ)程度といわれています。2000年を超えたあたりから、米に代わりパンが主食になってきました。

昔は「食」を家庭内、あるいは地域内で自給していました。ところが、1960年代以降、「食」の市場経済化が進みました。「食」と「農」は分離し、私たちのほとんどが「消費者」になったのです。

世界各国の食料自給率(カロリーベース)を見ると、日本は先進国の中で最下位です。1960年の日本の穀物自給率は80パーセント以上ありましたが、現在は30パーセント程度です。一方、1960年に60パーセントを切っていたイギリスの穀物自給率は、現在120パーセントを超えています。これは国の政策の違いによるものです。

日本人は、お米を食べなくなって減ったカロリーを肉と油でとるようになりました。この肉や油は、ほとんどを海外から輸入しています。

冒頭で、私は、ほとんどの食を自給しているとお話しましたが、それをお金に換算すると年間50万円程度になります。自給のための農ですから、家族一人あたり一日30分程度の労働です。それを時給換算にすると2500円ぐらいになるでしょうか。ちなみに国内総生産(GDP)に占める農業の金額は約5兆円ですが、もしも、日本人の2割が食を自給すると、その金額は5兆円程度で、同等になります。これはすごいことです。

さらに、我が家の場合、年間のエネルギー消費(電気、ガス、灯油、ガソリンなど)は55万円程度です。これをもしも薪利用や小水力発電などで自給できれば、年間100万円程度の消費が浮く計算になります。自給すれば、その100万円を稼がなくても良いということです。どうか皆さんも無理なく、少しずつ農を楽しんでください。食は幸せの源であり、料理は日々行うことができる創造的な行為だと私は思います。

〇食と農の聞き取り

真庭市北房地区では、食と農がどう変化してきたのか、また、現在の暮らしの中にどのような形で農があり、日々の食とつながっているのか。3つのグループに分かれて、いずれも90代の皆さんを中心に、食と農のお話を聞きました。

Aグループ(呰部地区・植木集落)
話し手:大月久子さん・南条祥子さん・南条泰正さん

 大月さんの若い頃は、牛や鶏を家で飼育していました。牛は耕作用で、子牛は販売用。鶏からは卵を取り、お祝いの時には、その鶏を絞めて食べました。種は自家採種し、麹も自家製、米糠は石鹸や洗剤として使っていました。周辺の森は、昔は松の木が多く、松茸が生えていました。川ではハエやフナ、コイ、シジミを採り、木の実や山菜も食べていました。油は共同で菜種油を搾り、どぶろくも各家で作っていました。

 そんな暮らしは、昭和30年代後半に水道やガス、電気が導入されたことで一変しました。昭和40年代に水害で牛が流されたことなどをきっかけに、トラクターなどの農機具を買う家が増えました。それまで1週間かけて4~5人で手植えしていた田植えは、半日で終わるようになりました。牛を飼育するための草刈りもしなくなり、山と人が住む領域の境がなくなって獣害が増えました。意外なことに、かつて獣害はほとんどなかったと言います。

生活改善グループのリーダーの南条さんは、「便利になった今の暮らしは良いかもしれないけれども、食べ物をつくったり、保存したりする工夫を若い人は知らない。これでは、災害が起こった時にも困るだろう」と話されていました。お話を聞いたあと、大月さんや植木泰正さんらつくる広々とした田畑を見せていただきました。

生活改善グループ・・・昭和30年代ごろから全国的に始まった農山漁村の女性によるグループ活動で、女性の地位向上や衛生面や栄養面の生活改善を行ってきた。近年は、特産品づくりなど地域活性化に取り組むグループも多い。南条さんたちも、特産品としてキムチづくり等を行ってきた。

Bグループ(中津井・蓬原集落) 話し手:嶋田薫さん・節子さん夫妻 

 嶋田さんのお宅は、家の周りに豊かな田畑が広がっています。家の脇の畑では、日々使う野菜を育てる小さな畑があり、様々な夏野菜が収穫期を迎えていました。家のすぐ下にある6反の田んぼの稲は、一列だけ色が違います。お飾りの藁にする品種だそうです。道路を挟んだ山際の畑では、スイカやカボチャ、里芋などを育て、斜面には栗や梅の木が植えてあります。お米や野菜は今も昔も自給ですが、変化したこともがあります。蓬原集落は酪農が盛んな地域でしたが、今は酪農をする人は減り、嶋田さんのお宅でも今は牛を飼っていません。家のすぐ脇の川では、ウナギやモクズガニ、ハエなどを獲って食べていたそうですが、コンクリートの三面張りになってからは魚がいなくなりました。かつてはどの家も鶏を縁側の下で飼育していましたが、今では卵を買うことが普通になりました。

 一方で変わらないこともあります。同行して下さった間久保靖子さんは、郷土料理のけんびき焼きを作ってきてくださいました。けんびき焼きとは、粒あんが入った素朴な小麦粉の団子を茗荷の葉で包んで焼いたもので、昔から田植え後のお祝いの席で食べられてきました。

そこで、薫さんが1枚の古い写真を見せてくださいました。そこには、子ども時代の薫さんを含め、たくさんの子どもたちが、笑顔で田植え後の食卓を囲んでいる様子が写っていました。「孫が喜んで野菜を食べてくれることが一番嬉しい」と話す嶋田さんご夫婦から、農のある暮らしの中にある、今も変わらない幸せを感じました。

Cグループ(水田地区・平集落) 話し手:池田菊代さん 

 平集落は、粘土質の土壌が特徴で、「水田米」というブランド米の、美味しいお米がとれる地域です。昔も今も、皆さん兼業で農業をしており、専業農家はいません。昔、男性は、県南の水島コンビナート等に出稼ぎに出ていたので、残された女性や子どもが中心になって農業をしていました。池田さんのお宅は、今も8.5反の稲作をしています。また、3.5畝の畑では、様々な野菜を育てています。セリ、タラノメ、フキなどの山菜は、今も昔も変わらず食卓に出ます。保存食づくりも盛んで、吊るし柿や干し芋、干し大根も自家製。特に吊るし柿は、みかん、昆布、海藻のほんだわら、イワシなどと一緒に神様への御供物にするので欠かせません。また、コンニャク芋を4年かけて育てて、自宅でコンニャクを作っていました。昔は豆腐も手作りしていましたが、今はスーパーで買うようになったそうです。肉類も昔は自給。野うさぎを獲ったり、白うさぎを飼育して食べていました。山ではヤマドリやキジ、川ではアユやフナを獲っていました。水質の変化などによって魚がいなくなり、今は、川魚を食べることはなくなったそうです。

 自給が当たり前の時代でも、お金で買っていたものがありました。砂糖、塩、タバコは、地区に専売店があったそうです。魚などを売る行商が自転車で来ることもありました。お正月に欠かせないブリも、年に一度のブリ市で買っていました。今でも地域の雑煮はブリが主役です。

〇農に関するディスカッション

落合地区の専業農家である妹尾宗夫さんに農業のお話を伺いました。

妹尾さんは、家族経営で農業を行っていますが、息子さんのお一人に知的障害があったことをきかっけに、現在、障がい者2人を通年で雇用しています。

現在の耕地面積は16.5ヘクタール。水稲のほか、キャベツを中心に野菜を栽培。そのほか野菜苗は50種程度、出荷しており、近隣農家から水稲の作業受託もしています。野菜の苗を育てるハウスは、薪ボイラーで加温しています。木を伐って薪に割る作業は、農閑期の仕事です。

農機具は高額のため、その購入は農家にとって負担です。妹尾さんの場合には、水稲の作業受託を行っているため、その収入を機械の購入や維持管理費にまわし、経営が成り立っています。お米をつくるのにかかる費用は、販売金額を下回っています。1俵あたり1万5千円の販売価格が最低ラインだと言いますが、現在は1俵あたり9千円ぐらい。飼料米の場合には補助金がつきますが、それでもギリギリだそうです。

農地を持っていること自体が、農家にとっては負担で、中途半端な規模の農家は儲かりません。それでも米をつくり続けるのは、縁故米といって、家族や親戚などに配るためです。

「何よりも、ものが育つのを見るのは楽しい。農業は、家族のみんなで作業できる。儲けようと思わなければ何とかなる。農閑期には他の仕事を組み合わせてもいい。人生には、楽しみもあり、しんどいこともあるが、農業は自由で、時間を自分でやりくりできることがいい」と語る言葉が印象に残りました。

現在、日本の農業従事者の平均年齢は70歳前後で、農業従事者数は、ここ30年で急速に減少しています。単純に10年後、平均年齢が80歳前後になるとすれば、日本の農業は確実に崩壊します。耕作放棄地もますます増えるでしょう。地球温暖化や気候変動の影響で、干ばつや水害なども多発しています。食料が足りなくなったら、外国から輸入すれば良いという時代ではないことは、皆さんご承知のとおりです。

農や食を考えることは、あなたや家族のいのち、そのものの問題であり、他人事では済まされません。

次回の講座は、「地域の産業と暮らし~林業とバイオマス~」テーマに開催します。

<講義資料> 食と農の変遷