第7期基礎講座 入塾式/地域をあるく・みる・きく

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6月17・18日(土日)に、第7期「基礎講座」が開講しました。本年度は20名の塾生が参加し、真庭市北房(ほくぼう)地区をフィールドに活動します。今期は、岡山県内はもちろん、大阪、兵庫、奈良、広島、鳥取、さらに遠くは神奈川から塾生が参加します。年齢は20代~50代まで。ご夫婦やご家族が一緒に参加される方も数組いらっしゃいます。

入塾式では、地域を代表して、副塾長の坂本信広さんにご挨拶いただきました。続いて、渋澤寿一塾長が、塾のガイダンスと地元学についての講義とフィールドワークを行いました。

夜は、塾生、スタッフ揃って自己紹介をし、入塾した動機やお互いの想いを共有しました。また、備中川沿いで乱舞するホタルも見ることができました。無数に飛ぶホタルは、子どもたちを中心に、地域の皆さんが保護活動を行っています。

そして、2日目は、地元学のまとめをグループごとに発表しました。以下、当日の講義と地元学の概要を紹介します。

◆講義「真庭なりわい塾の目指すもの」&「地元学」

私たち日本人の暮らしは、昭和30年代後半から昭和40年代の、高度経済成長期を境に大きく変わりました。衣食住を自分で賄う暮らしから、すべて「お金」で買う暮らしへと変化しました。一見、便利で豊かになった一方、地球環境には大きな負荷がかかるようになりました。人間の欲望には際限がありません。先進国といわれる国々の暮らしを標準とするならば資源は枯渇し、地球は破綻してしまします。私たちの暮らしは持続可能なお手本とはいえないのです。

これは、奈良県川上村の250年生の杉林の写真です。学生たちは、その美しさに感動していました。でも、次第に頭を抱えてしまいます。どの学生も、社会に出たら自分の好きなことを仕事にしたい、福利厚生が充実した会社で働きたい、稼げる仕事がしたいと考えていました。でも、この杉林は、江戸時代の終わりに植林されて、それ以降、7世代にわたって、大切にしながら育ててきたものです。森に対する同じ価値観がベースにありました。いくら技術が発達しても、価値観が違えば、この森をつくることはできません。「今だけ・お金だけ・自分だけ」ということばかりを考えていていは、この森はつくることができないのです。

奈良県川上村の吉野杉の林

そんな若者たちの価値観が徐々に変わってきているように感じています。生産性や効率性を重視して働き、経済的に豊かになることが、必ずしも幸せではないことに、多くの若者は気づきはじめています。真庭なりわい塾は、農山村をフィールドに、これからの生き方、働き方について考えていきます。お金とは何か。働くことの意味は何か。人生は、「何をする」という職業選択(Do)ではなく、「どうありたいか」という、生き方づくり(Be)です。経済性や効率ばかりを優先する社会ではなく、人と人、人と自然がつながりあう未来を、皆さんとともに考えていきたいと思います。

今日これから行う「地元学」は、地域の皆さんと一緒に集落を歩いて、見て、聞いて、その成り立ちを読み解く手法です。

「地元学」が最初にはじまったのは、熊本県水俣市です。水俣病は、チッソ(化学工場)が排出した有機水銀が食物連鎖によって体内に入り、神経系が冒される中毒性疾患です。はじめは原因がわからず、患者への激しい差別や分断が生まれました。そうした差別や分断を乗り越えるために、関係性をつなぎ直す「もやい直し」の活動として「地元学」が生まれました。

それぞれの集落は、どのような自然条件の中で、どのように暮らしをつくってきたのでしょうか。水 (水源、水路、川、谷など)、 光 (日照時間、陽射しなど)、 風 (強さ、季節、風の道など)、 土 (地形、地質、地味など)、 生き物 (植物、動物、魚、猟、食害、利用、貯蔵など)、神様・心 (神棚、石仏、信仰、有り難いもの、祈り、祭りなど)、産業 (日々の生業、稼ぎ、自家消費など)、食べ物 (種類、日常とハレの日、調理、素材など)、

(種類、材、利用など)、道具(種類、材、加工など)、衣服(材料、機織りなど)、

(調達、自然素材など)……。先入観を捨てて、具体的に質問し、聞いてみましょう。地域の風土や文化、生活、歴史。人々が今につないできたものを体感するのが「地元学」です。

講義する渋澤寿一塾長

塾のフィールドである北房エリア(旧北房町)は、阿口、呰部、中津井、上水田、水田の5つの地区に分かれています。渋澤塾長の講義のあと、塾生は、阿口(あくち)地区の杉集落、上水田地区の井尾(いのお)集落、水田地区の平(ひら)集落に3か所に分かれて、「地元学」を行いました。歩いて、見て、聞いた内容は、翌日、模造紙にまとめて、グループごとに発表し、共有しました。

◆Aグループ:阿口地区・杉集落

北房エリアでも標高が高い、山間部の杉集落をご案内くださったのは、椙原啓二さんと黒田直人さん。同集落で最も高い場所にある家は標高480mに位置しており、まさに天空の集落です。大きな川はありませんが、水は豊富です。湧水による水源は、枯れたことがないそうです。一方、水田は、腰まで浸かるような湿田が多く、大正時代には、村の有志が集まり、10年以上かけて暗渠排水を整備しました。その広大な水田は「大正田」と呼ばれ、今も稲作が行われています。

先人たちの努力の結晶・「大正田」

また、阿口は、鉱山資源の豊かな場所でもありました。古い時代には「たたら製鉄」が行われ、昭和10年〜30年頃には銅山が採掘されました。たくさんの出稼ぎの方も住んでいたそうです。

今ではその賑わいはなく、過疎が進む地域ですが、集落の有志で桜の杜(もり)をつくる活動などが行われています。そんな中、18年ぶりに集落で子どもが生まれたことが、最近の嬉しいニュースだそうです。案内役のお二人は、「阿口は、子どもの頃から知っている人ばかりが暮らしているので、安心感がある」をおっしゃっていました。それは見ず知らずの人ばかりが暮らす都会にはない、安心感だと思います。

案内いただいた椙原啓二さん

◆Bグループ:上水田地区・井尾集落

<上水田地区・井尾集落>

実行委員の原一行さん、優子さんご家族のご案内のもと、北房の観光名所の一つでもある、毘沙門の滝から歩きはじめました。毘沙門の滝であふれ出る水は井尾川に流れ、集落の各家の周りを巡って野菜の洗い場としても使われながら、備中川に続いています。昔はよく氾濫する蛇行川でしたが、中国道の工事に伴って川の整備をしたことで今では氾濫もなく、この時期だとホタルも飛び交います。

 井尾は古くから「たたら製鉄」が行われ、天領だった歴史もあり、城もあり、かつては「国重」の刀鍛冶が住んでいたそうです。

地域の長老のお一人である90歳の三好晋平さんのお宅にもお邪魔しました。家の2階では、昔は養蚕をし、戦時中の空襲に備えて、白壁を黒壁に塗り替えた歴史があります。

戦時中に「白壁は目立つ」からと塗り替えられた黒壁

 集落の中にあるお堂では、4月と9月に「お大師巡り」が行われます。「四国88か所巡り」を模して行うもので、北房地域内を願掛けして巡ります。集落の人がお接待をするという慣習も残っています。

コロナ禍で近年なかなかできない行事がある一方、井尾は集落のまとまりが良く、市議会議員が2人も出るなど、地域の協力や結束力が強い地域です。

集合写真:1列目の右端が原一行さん、中央が三好晋平さん、左から二人目が原優子さん

◆Cグループ:水田地区・平集落

平地区は、地区の中心に水田が広がっています。中央には開田川が流れ、山際には明治から大正にかけて作られた3つのため池があります。かつては天水を利用していました。干ばつになると、上の棚田にしか水が行き渡らず、刃物も持ち出すような水争いもあったそうです。

ご案内いただいた畦森基樹さん

昭和47年には開田川が氾濫し、水害に見舞われました。その後、開田川はコンクリートの三面張りになり、ホタルやハヤ(魚)も見られなくなりました。

昭和51年に高速道路が開通。八幡神社とその近くの民家は、道路で分断されてしまいました。神社側に行くには、高速道路の上の橋を渡らなければなりません。

昭和61年には圃場整備が行われました。小さな棚田は区画整備が行われ、機械を入れられるようになり、高さも調整したので、水も行き渡るようになりました。

平地区から見える、奥山の山頂には、メガソーラーが設置されています。地区の共有林にもメガソーラーを作る話があったそうですが、水が濁ったり、土砂崩れが起きてはならないと、皆で反対しました。一見、穏やかですが、いざというときには団結します。近年はご高齢の二人暮らしの家も増えてきました。私たちにできることは限られていますが、夏祭りに参加したり、お大師様のお堂の掃除を手伝うなど、この出会いを大切にできればと思います。

お大師様のお堂

「地元学」をとおして、私たちは、地域の輪郭を少しつかむことができました。そして、各グループの発表を聞いた塾長からは、以下のようなコメントがありました。

「村の暮らしの基本は、限られた自然の中で、お互いに助け合いながら、自給と自足を基本として生きることです。人々は、米を自給するために、暗渠排水を設置し、あるいは、ため池をつくり、圃場整備を行うなど、さまざまな工夫をしてきました。これで、ようやく子孫は安心して暮らせると考えたのです。ところが、現在、多くの集落は過疎になっています。なぜでしょうか。それは田舎よりも都会のほうが楽にお金を稼ぐことができたからです。

都会では労働生産性が重視されます。一方、田舎は労働生産性よりも、資源生産性、あるいは土地生産性を大切に考えました。だからこそ手間ひまかけて、田畑や山を手入れしてきたのです。現在、日本は、食料やエネルギーの大半を海外に依存しています。東京や大阪など大都市の食料自給率は数パーセントしかありません。一方、世界の人口は80億人を超えています。近い将来、地球上では、食料や水の奪い合いが始まるのかもしれません。私たちは、田舎は過疎高齢化が進んでいると、簡単に口にしますが、田舎だけに問題があるわけではありません。都市もまた、さまざまな課題を抱えているのです」

次回は「食と農」をテーマに、再び、地域の皆さんにお話を聞きながら、学んでいきます。都合により初回講座に参加できなかった方も、どうぞ楽しみにご参加ください。

<講義資料>「真庭なりわい塾の目指すもの」&「地元学」