第6期基礎講座 自分でみつける豊かさと幸せの基準

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12月3日(土)~4日(日)に、第6期真庭なりわい塾の基礎講座を実施しました。今回のテーマは、「自分でみつける豊かさと幸せの基準」。塾長、副塾長からの最終講義とあわせて、「X年後の自分の生き方・働き方」を考えるワークショップ等を行いました。

●塾長の講義:未来のための「江戸の暮らし」 渋澤寿一

江戸時代の日本は、「鎖国」という外交的な理由により、物質の循環が国内だけに限られていました。石油も石炭も利用していなかった当時の日本は、太陽エネルギーを吸収して成長する植物、それを餌にする鳥や動物。そして薪や炭、植物や魚からとった油。それらが、食糧とエネルギーのすべてでした。ちなみに、江戸時代の日本の人口は3千万人程度といわれ、現在の人口のおよそ4分の1ぐらいです。お米は反当たりの収量は、当時2~3俵でしたが、今は格段に収量が増えています。江戸時代と同程度の暮らしで良ければ、今の日本であっても数字上は自給できるかもしれません。ただ、当時の暮らしで今の日本人が満足できれば、の話です。

江戸時代には、人間の排泄物を「金肥」といい、田畑の肥料にしていました。閉じられた生態系の中で、すべてが循環していたのが、江戸時代でした。

「もったいない」「バチがあたる」という価値観が、江戸時代の持続可能な暮らしを成り立たせていました。そして修繕やリサイクル業が、江戸の基幹産業だったのです。

『逝きし世の面影』(経済学者、渡辺京二氏著)という本には、江戸時代に、日本に来た外国人が日本をどのように見ていたのか。それがわかる言葉がたくさん記されています。

「幸福で満ち足りた、暮らし向きの良さそうな住民を見ていると、これが圧政に苦しみ、苛酷な税金を取り立てられて困窮している土地だとは、とても信じがたい」(オルコック)

「オハイオやほほ笑み、家族とお茶を飲むように戸口ごとに引き止める招待や花の贈り物、住民すべての丁重さと愛想の良さは筆舌に尽くしがたく、確かに日本人は、地球上最も礼儀正しい民族だと思わない訳にはいかない」 (ボーボワール)

「日本は子供の天国だ。世界中で日本ほど、子供が親切に取り扱われ、そして子供のために深い注意が払われる国はない」(モース)etc.

こうして見ていくと、江戸の町はゼロエミッションであり、都市と農村を一体としたエコシステム(循環社会)があり、自治があったことがわかります。そして何より、庶民の明るさと好奇心、そして、子どもや自然に対する愛情がありました。それは、これからの社会にとって大切なことを示唆するものであり、SDGsを達成するためのヒントかもしれません。

●ワークショップ「X年後のわたし」

講義の後は、来月下旬に予定している修了式の、修了レポート発表に向け、これからの自身の生き方、働き方、具体的にイメージするワークショップです。

「X年後、私は、どこで、誰と、何をしているのか」

自分で設定したX年後に、どこで誰とどんな1日を過ごしているのか、どんな仕事をしているのか、地域や社会とどのように関わっているのか、人生の最終的な目標や夢、X年後に向けた最初の一歩は何からはじめるのか。

ぼんやりとは考えていても、普段の忙しさに埋もれて、こういう「考える時間」は、ついつい後回しにしてきたかもしれません。塾に入る前より、よりはっきりした将来が見えてきた人、未だはっきりとは見えないけれど心地よい状態だけは言葉にできるという人。まだ、漠然としたイメージしか持てない人。それぞれの「X年後」を言葉にして、シェアする時間でした。話をしていても、人の話を聞いていても、まだ少し足りないような気がする、そんな時間だったかもしれません。哲学的な内容から、現実的なお金のこと、暮らしや環境のことまで、様々なレイヤーで「X年後」が語られていました。

●「聞き書き作品」のまとめについて相談タイム

2日目の朝は、9月に行った聞き書きの進捗状況の確認と最終的な相談をしました。すでに作品を完成させたチームもあり、「語り手」の方に内容の確認に伺うと、「話したことがそのまま書いてある。孫にぜひ読ませたい」と、作品の仕上がりを楽しみにしてくれていたそうです。作品仕上げのラストスパートに力が入ります。

聞き書きは、「聞き手」たちの学びになることはもちろん、郷土の歴史や風習を伝える貴重な資料にもなります。でも、それ以上に、語り手ご本人が、家族には普段話さない昔のこと、自分の人生のことがカタチになることの価値は、計り知れないように思います。

●2年目実践講座に向けた意見交換

1年目の基礎講座が終わると、来年度は2年目の実践講座が始まります。塾生が実践的に学びたいこと、地域や地域の人が必要としていること、また、できることを擦り合わせていきます。

過去の実践講座では、空き家調査、集落のお堂の改修、持続可能な暮らしの実践、野草や薬草の活用、地域の昔の暮らしや歴史を伝える絵本づくりなど、塾生と地域の方との相談で、様々な内容の講座ができました。

6期生の実践講座は、中和にIターンして暮らす2人の女性(いずれも卒塾生)を世話役に、2チームに分かれての活動になる予定です。

大岩百合子さんのチームは、里山の食と農、草木の利用をテーマとしたチーム。話し合いの中では、山菜や保存食づくり、薬草や野草の利用、手植え・手刈りの田んぼ作業、郷土料理、お豆腐づくり、草木を利用した道具づくり、米粉を作って加工する等の希望が出ました。

大岩百合子さん

樋田碧子さんのチームは、空き家改修とフリースペースを活用した学童クラブ開始に向けた準備、里山の整備等をテーマとしたチームです。前半は、床張や壁塗りなどのお手伝い。後半は、田畑の開墾や子どもたちを対象としたイベントづくり等に関する内容が話されました。

樋田碧子さん(左)

最終回の修了式の際に、引き続き、実践講座の内容を話し合い、参加者を募る予定です。

●副塾長の講義:地域と経済~自分でみつける幸せと豊かさの基準~ 駒宮博男

ここ数年、コロナの感染拡大があり、ロシア・ウクライナ戦争があり、気候変動がますます顕著になっています。その中で、私たちの生存の基盤である、食とエネルギーが危うい状況になっています。何が起こっても大丈夫なように、できる限り、食やエネルギーは自給したほうが良いと私は思います。都会を離れて、地方に移住したいと考える人もあるでしょう。

ところで、地方創生について、いまだに「起業誘致」や「観光」に頼ろうとする市町村は多いです。でも、その方法で地方創生は可能でしょうか。

地域経済は「穴のあいたバケツ」だと言われています。

地方に住む人の収入は、給与、年金、あるいは補助金として入ってきますが、たとえば、アルコール代、燃料費、あるいは外食費は、地域から出ていきます。いくら稼いでも、地域外にお金が出ていってしまっては、地域経済は活性化しません。

これを「見える化」するための分析方法のひとつとして、LM3(Local Multiplier 3)があります。「売上」を、「外部流出」と「人件費」と「内部調達」の3つに分けて分析します。
たとえば、「外部資本企業」を誘致した場合、「売上」のほとんどは、「外部流出」してしまいます。「地域資源調達型企業」の場合には、「内部調達」の割合が増えます。
「外食チェーン」のビジネスモデルは、ほとんどの売上が「外部流出」しますが、「地産地消農家レストラン」の場合には、「外部流出」はわずかです。

実際の地域でこれをシミュレーションしてみると、たとえば、真庭市中和地区の場合、地域産業の総売り上げの約42パーセントが地域外に流出しており、一方、地域住民の収入の約71パーセントは、地域外部から来ていることがわかります。地域外での消費は約81パーセントとなっていて、これが「穴のあいたバケツ」の実体であることがわかります。

たとえば、3000人の町に「起業誘致」し、従業員100人対して20人を地域で雇用する場合を計算してみると、地域内人件費は5パーセント増えます。一方、食やエネルギー、車、住居等を「地産地消」した場合には、地域内人件費は8.4パーセントに増えることがわかります。「起業誘致」よりも、「地産地消」に力を入れたほうが、新たな雇用が生まれるということです。

なお、ここまでの分析は、すべて「貨幣経済」を前提にしたものですが、これからは「自給」、「贈与」、「交換」を入れた、新しい経済学が必要です。
たとえば、私がやっているのは「自給のための農業」で、まったくの素人レベルですが、素人農業でも年間50万円を賄っている計算になります。これを日本の20パーセントの世帯が行えば、GDP換算で50兆円になります。エネルギーも自給すれば、恐らく食料の倍になるでしょう。
これからは、食やエネルギー、そして教育や医療、福祉を自給することが大切です。

江戸時代の経済の話を少ししましょう。
江戸時代の庶民の生活を見てみると、大工の支出は、食費やエネルギー費で3分の2以上。農家の支出は、年貢や地代、肥料代、運搬費などの割合が高いです。下級武士の給料は禄高と、下男、下女も含めた家族の人数割りで手当が決まっています。下男下女は必ず雇わなければならないので、下級武士は借金まみれです。一番権力を握っていたのは、大奥の女性です。でも、農民や大工と、下級武士の生活水準は、あまり変わりません。

支出を見ると、米は高いし、豆腐などの加工品、そして繊維類は今よりもずっと高いですね。
一方、江戸時代の公共サービスは、ほとんど民間が担っていました。
年貢は高かったといわれるますが、現在、国民の税金の負担率は44パーセントで、それと比べればたいして変わりません。
江戸時代の暮らしは、今に比べれると環境負荷は低く、一方で庶民の自由は確保され、 民主主義のレベルも高かったと私は思います。

ここに、Leads大学が国ごとの豊かさを分析したデータがあります。ケイト・ワラースの「ドーナッツ経済」を少し改変し、各国の状況を分析したものです。

この結果を見ると、私は愕然とします。
「生活の質の向上」と「環境負荷」を各国、比べてみると、「環境負荷を与えれば与えるほど、生活の質は向上する」という結果になっているのです。

多少希望がもてるのはベトナムで、生活の質の向上は「6」、環境負荷が「1」という結果になっています。日本は、生活の質の向上は「10」ですが、環境負荷は「5」です。

人類はこれまで「環境負荷をかけて、豊かさを追い求めてきた」ということです。日本がこれまでお手本と考えてきたデンマークも、フィンランドも環境負荷をかけています。環境負荷をかけてきた結果、「気候変動」が起きています。そしてその最大の被害者は「途上国」です。日本は科学技術で、環境負荷を軽減しようとしていますが、本当にできるのでしょうか。先進国は、もっと生活レベルを下げるしかないのかもしれません。これまで追い求めてきた「豊かさ」は持続不可能で、技術では太刀打ちできないのではないかと私は思います。

「民主主義の質」、「教育の高さ」、「社会の平等」は、それぞれ相関関係がありますが、一方で、「CO2の排出量」もこれと相関関係にあります。「エコロジカル・フットプリント」も、「マテリアル・フットプリント」も相関関係があります。私たちは、環境負荷をかけることによって「近代の理想」を実現してきたのです。

日本の最大の資源は何でしょうか。それは農山村、田舎にあります。森林資源や耕作放棄地を最大限に活用し、食やエネルギーを自給すべきでしょう。

環境活動家のヘレナ・ノバーグ・ホッジさんは、「田舎に拠点をつくる。あるいは、強いつながりをつくることができたら、次は社会を変えてほしい」と言っています。農山村の豊富な資源に気づいた皆さんは、いち早く行動すべきでしょう。

さて、年明け1月は、いよいよ最終回、修了式です。塾生は、一人一人が、これまでの講座を振り返り、X年後の自身の生き方、働き方について発表します。それぞれが自分なりの言葉と物差しで、自身の幸せや豊かさについて語ることを期待しています。

講座資料1 未来のための江戸の暮らし(渋澤寿一)
講座資料2 地域と経済~自分でみつける幸せと豊かさの基準~(駒宮博男)