7月6日(土)~7日(日)に、第4期真庭なりわい塾の第2回基礎講座を実施しました。今回の講座では、食と農を中心に、高度経済成長期以後、暮らしがどう変化していったのかなど、世界の食と農の現状に関する講義を聞き、あわせて地域の年配者の聞き取りや、地域で農業を営む方のディスカッションを通じて、今後の地域、そして自分自身の食と農のあり方について考えました。
〇「食と農の変遷」 副塾長 駒宮博男(NPO法人地域再生機構理事長)
駒宮副塾長は、岐阜県恵那市で、お米や野菜、果物など、その多くを自給しています。講義は、自身で自給している作物の話からはじまり、日本における米作りと消費の変化、現代の食と農の分離(作り手と消費者の分離)、世界にみる日本の食料自給率の低さ、農業従事者の高齢化など、ローカルからグローバルな視点まで、食と農を俯瞰的に学びました。
〇食と農に関する聞き取り
講義のあとは、グループごとに4つの集落で、食と農に関する聞き取りを行いました。昔と今とでは、食生活や農業にどんな変化があるのか。現在は、田畑でどんな作物を作っているのかなど、70代、80代の方々を中心に畑や蔵などを見せていただきながら、お話を聞きました。
そして2日目には、各グループで、そのお話や感想をまとめて発表を行いました。
【初和集落 三甘美幸さん】
三甘さんは、醤油や塩以外、食料のほとんどを自給していました。
かつての日常的な食事は、自家製味噌の味噌汁に白米のご飯。大根や白菜の漬物など。鶏も飼って卵を食べていました。コンニャクや豆腐、ドブロクも手作り。昔は川魚もよく捕れたといいます。
お祭りなど、ハレの日は、飼っている鶏を絞めて食べていました。山でとったウサギもご馳走でした。ヤキンボ(くず米の粉と蕎麦粉にヨモギをまぜて丸め、餡子を入れて焼いたもの)を食べるのも楽しみでした。
昔は、生きるために農業をしていましたが、今はつくった野菜を子供や親戚に送るのが楽しみだといいます。川では魚がとれなくなり、ウサギをとる人もいなくなりました。最近は野焼きをしないため、山菜も少なくなったそうです。昔は、鶏を自分で絞めるなど、命をいただく現場が身近にありましたが、今はスーパーでお肉を買っています。昔は行商で売りに来る魚をお米と交換しましたが、今は買い物にはお金が必要です。収穫した野菜を近所の人に分けたり、もらう習慣は今もよく残っています。都会と違って、食べることには困らない暮らしはうらやましくも感じました。
【荒井集落 曾根田君枝さん、荒尾恒子さん】
蒜山はクロボクという火山灰の土壌で、大根などを作るのに適していますが、荒井集落の土はイシガラで小石が多く混ざっているそうです。牛、タバコ、米が三大収入源で、特に葉タバコをつくる家は多かったと聞きました。タバコは納屋で燻して干し、売りに出しました。タバコを背負うために使った大きな籠も見せてもらいました。
冬は雪が多く、藁仕事をして過ごしました。草鞋、草履、藁グツなど、ほとんどの履物は自分で作っていたそうです。
自給用の畑では、かぼちゃ、きゅうり、ねぎ、サトイモ、キャベツ、大根、さつまいも、なす、じゃがいも、うりなど、あらゆる野菜を作っています。野菜のほとんどは、自分で種をとるそうです。仏壇にあげるお花も自分で作っていました。
家には蔵があり、漬物などを保存しています。昨年は梅が豊作で、梅干しをたくさん作りましたが、一人では食べきれず、捨ててしまったと聞きました。田んぼは一人ではできないので、移住してきた高谷さんご夫妻に任せています。
川魚は昔のようにとれず、獣害も増えています。私たちの暮らしがここ数十年で大きく変化したことが、自然にも影響していると感じました。
【別所集落 中谷政司さん】
中谷さんは現役の米農家で、米は2町7反つくっています。別所は雨や雪が多く、田畑は水はけの悪いそうですが、お米はよくできます。昔はほとんどお金を使わず、物々交換をしていました。行商の魚はお米と交換。家で飼っている牛は鳥取方面に出稼ぎに行かせて収入を得たりもしていた。保存食は塩漬け、ぬか漬けなど種類が多いです。ヘイトコ(根曲がり竹)を頂きましたが、保存のため塩がきつく、塩抜きには一晩以上かかるようです。蛋白源である鶏は、お正月などハレの日に食べていました。獣はウサギのほか、狸や狐も食べていました。野菜は何でもつくっています。
中谷さんは、高級車など余分なものはほしがらず、この土地の恵みで生きています。なので、発表用紙の真ん中には、「土」という字を大きく書いてみました。
食べ物が「おいしい」と感じるのはどういうことなのかということをグループで話し合いました。メンバーからは、学園祭の後に飲んだビールなど、本人の記憶と結びついた職の話が出てきました。中谷さんの場合には、さまざまな作物を手間暇かけて、自分でつくっています。そんな記憶とともにある米や野菜は、別格のおいしさがあるのではないかと思いました。土地があって、その土からとれたもので自分の体ができている。中谷さんの生き方は、地に足がついていると感じました。
【下鍛冶谷集落 西山慶子さん】
私たちは最初にブドウ園に案内されました。シャインマスカットなど3種類が植えられており、ブドウ農家なのかと思ったら、出荷はまったくしていないと聞いて驚きました。ブドウは、季節の挨拶として、ご近所や知り合いに配っています。国の減反政策で、もともとは田んぼだったところをブドウ畑に変えたそうです。そのほかナスやトマト、そして自給用の畑には、さまざまな野菜をつくっています。
西山さんは、「はっする母ちゃん工房」のメンバーでもあります。「はっする母ちゃん工房」は、地元のお母さんたちの六次産業グループで、地元食材を使って、フキの佃煮、焼肉のタレ、味噌、コケラ寿司などを作っています。コケラ寿司に使う笹の葉は、7月中頃のものが適しているので、その時期に1万2千枚を収穫し、冷凍して1年間使っているそうです。
減反政策や葉タバコの生産調整の話などを聞いて、農家は国の政策に翻弄されている部分もあると感じました。お米はかつて150俵ほど作っていましたが、現在は地元の土建屋の息子さんに作業委託をしているそうです。
このイラストはニゲラです。南ヨーロッパ原産で青い花が咲くと聞きました。タネをいただいたので皆さんにもお分けします。どうぞ蒔いてみてください。
〇「地域で農業を営む方とのディスカッション」
中和地区農業を営む、三船進太郎さん(下鍛冶谷在住)、山岡伸行さん(別所在住)をゲストに、ディスカッションを行いました。
三船さんは中和地区で早くから有機農業を行ってきました。合鴨農法による稲作を中心に蕎麦や大豆の生産、平飼による養鶏を行っています。一方、山岡さんは父親の跡を継いで、兼業農家として稲作を行っています。60代、40代と世代の違うお二人ですが、30代で都会でのサラリーマン生活を辞め、ふるさとにUターンし、農業従事者になった共通点があり、農業を始めたキッカケ、どのように生計をたててきたか、どのような想いで農業を営んでいるかなどの話は、塾生にとっても興味深いものでした。
お二人とも、徐々に耕作面積を広げ、とれた作物は農協には出荷せずに、独自のルートで販売を工夫しています。作業受託も行うことにより、ある程度の収益を得られるようになったといいます。一方、5反、6反程度の広さの田んぼで、機械を使いながら農業をやっている方は、経営的には成り立たないのではないかという話もありました。
「でも、そういった人の多くは、親から受け継いだ田を荒らさないように維持したいと考えている。お米は、昔から貴重なもので、クズ米さえもありがたかった。だからこそ、田んぼに対しての愛着とか執着があり、今も続けているのではないかと思う」と、山岡さん。一方、三船さんからは、「日本じゅう、どこでも、農業者は高齢化し、後継者がいない家は担い手がいない。5年、10年というスパンで言うと中和地区も危機です。山岡さんの世代はまだまだ少数派。私たち60代、70代、80代がいなくなると厳しくなると思う」という切実なお話もありました。
最近は、イノシシやシカなど、鳥獣被害も多く、その対策のために山岡さんはワナ猟の免許もとったそうです。30代前後のI・Uターン者で「農」と「農業」をどうつないでいくのか。それが、これからの課題です。
次回は、「森林とバイオマス」をテーマに学びます。
≪講義資料≫