2016年9月10~11日(土・日)に真庭なりわい塾の第5回講座を実施しました。
今回の講座は「これからの生き方を考える」と題し、講義、ワークショップなどを行いました。
はじめに、真庭なりわい塾副塾長の駒宮博男氏(NPO法人地域再生機構理事長)が講義を行いました。
(※講義内容を一部抜粋して掲載します。※講義資料はこの報告の最後に添付します。)
■講義「農山村の100のナリワイを考える」
<「仕事」と「労働」の違い>
みなさんは、「仕事」と「労働」と聞いて、何を想像しますか。江戸時代までは、「仕事」という言葉しかありませんでした。主な仕事は食べていくための農業ですから、「生きること」と仕事との区別は不明瞭でした。「労働」という言葉は、明治以降の造語です。近代化の中で、生きるための「仕事」から、骨を折って働く「労働」に変化していったのです。同時に、時給、月給などの時間の概念が生み出されました。「時間」の概念が入った瞬間に、「怠惰」が駆逐されて「労働」が成立したわけです。また、もともと欧州では、労働は神の罰であり、奴隷のみが労働する歴史がありました。ですから、労働は苦痛であり、できれば避けたいものだという根強い考え方がある。皆さんはどうでしょうか。なるべく仕事をしないで稼ぎたい、という気持ちがありますか?
<労働時間と非労働時間>
次は労働時間について考えてみましょう。1970年代は、産業用ロボットが次々と実用化された時代でした。生産の合理化により、将来、急速に労働時間が減少するだろうと考えられました。 当時、東京大学に創設された「国際関係論」講座で、初代教授の衛藤瀋吉氏は、「20世紀には3つの負い目がある」として「人口爆発」、「核兵器」、そして「余暇の増大」を挙げていました。生産が合理化されて「余暇の増大」することは、人類にとって危機であると先生は考えたわけです。当時、先生のおっしゃっている意味はよくわかりませんでした。でも、「余暇の増大」ではなく、これを「失業」という言葉に置き換えれば、納得がいきます。つまり、合理化しても一人当たりの労働時間は減少せず、雇用が減少したのです。
江戸時代までの日本には、「労働」に対する「余暇」、「休み」などの概念はありませんでした。しかし、年50~60日の「遊び日」が地域の自治によって決められていたといいます。この「遊び日」には、みんな集まって酒を飲みました。それが祭りになりました。明治以後、太陽暦が採用され、週休日などの概念ができたのです。
<生産性と非生産的行為>
日本は、働くこと、稼ぐことを基本的に良しとする社会です。たとえば、私が住む中京圏では、「学問は商売の邪魔になるからするな」と随分いわれてきましたが、学問とは何でしょうか。それは、非生産的行為でしょうか。現代では、生産性の向上ばかりを求められますが、そもそも昔から、働くこと=人生の目標ではない人はたくさんいました。日本では、かつて何週間もかけて「御伊勢参り」が行われていました。また、チベット仏教やヒンドゥー教などの聖地であるカイラス山では、一度に自分の体の丈だけ地面を進む「五体投地」が行われています。こういった非生産的行為は、経済学では、どう位置づけられるでしょうか。
<失業と無業>
ホーケンという学者がいますが、失業は都市部の人間だけにあるのではないかという仮説をたてています。日本で「失業」という概念ができたのも明治以降です。江戸時代は、失業という概念はなく、食い扶持がなくなると、人は都市に流れたのです。
現代では、月3万円の年金と野菜を売る収入と自給的な生活で豊かに暮らす年配者がいる一方、都市部では1ヶ月に15万円を受給している生活保護者が困窮しているという矛盾が生じています。田舎に暮らすということは、生産財である農地や林地を持ちながら暮らすということです。一方で、生産手段をもたないサラリーマンは、稼ぎがなくなるといきなり困窮してしまうという現実があります。
また、定年後の「無業」状態にある人の中には、趣味を謳歌する人も多くいますが、果たしてそれが本当の幸せなのか、よくわかりません。何歳になっても社会参画したいという意欲ある人が多くいます。
<ワークシェアによるイノベーション>
このグラフはここ30年の正規・非正規労働者数の推移です。もう一つは、合計失業者数と合計失業率の推移です。ここで注目すべきことは、失業率は下がり気味だが、失業者数は増加しているという点にあります。
欧米ではワークシェアがかなり進んでいます。オランダでは週4日働く正社員もいます。ワークシェアによる失業率0%をシミュレートしてみましょう。
前提として、正規職員の週5日労働を4日労働にすること、減った労働力は非正規に補てんし、失業者は非正規へ割り振ります。すると、失業者210万人が非正規になり、非正規から正規へ656万人が補てんされます。正規が週4日労働になった分、20%(656万人)の労働力の余剰が生まれます。一人当たりの平均年収300万円とすると総額19.7兆円。この余剰を農林水産業などの一次産業や地域の公共事業、スモールビジネスなどに充てることができないか。この考え方を恵那市に当てはめてみると、一人当たりの平均年収240万円として総額64.7億円になります。この規模の雇用をいかに作るかが最大の課題ですが、やろうと思えばできる範囲ではないかと感じています。
<ワークシェアと可処分時間>
ワークシェアが進展すると、「可処分時間」が拡大します。「可処分時間」とは、1日24時間のうちで食事、仕事、睡眠、家事など、絶対にやらなければならない、生活に必要な時間を差し引いた後に残る、自由な時間です。一方、「可処分所得」は、どれだけ余分な所得を持ち、どれだけ贅沢ができるかという、現代の生活の豊かさ指標となっているものです。
これからは、「可処分時間」を活用し、いかに多様な社会参加の機会をつくるか。いかに人と人、人と自然の多様な関係性を持っているかが、豊かさの指標となっていくのではないでしょうか。消費ではなく、「生産性にこだわらない生産」をする働き方、ワークシェアによる「可処分時間」を有効利用する「多業」が、これからの生き方になっていくと考えています。
<日本の労働生産性と不労所得願望>
各国の労働時間を比較してみると、飛びぬけて日本は労働時間が多いことが分かります。しかし、労働生産性で比較すると、低い結果となります。つまり、労働時間は長いが、生産性は低いということです。
パートタイムとフルタイムの賃金比率を見ると、フルタイムに対してかなり低い賃金でパートタイムを雇っていることがわかります。
産業ごとの賃金水準を比較すると、金融関係の産業がトップとなっています。ボーナスは商社がトップ、放送業、金融と続きます。建設業の下請けは最低の賃金です。つまりお金がお金を生む業界のお給料が高いということです。こうした賃金格差を背景に、世の中は不労所得願望へと向かっているのかもしれません。
一方、地域経済に目を向けてみましょう。地域経済をバケツに表すと、底には穴が開いていると言われています。給料や年金、補助金などの収入を得ても、飲食費、電気・ガスなどのエネルギー費、通信費、アルコール代など、地域外への支出が嵩み、地域には、ほとんどお金が残らないということです。そのバケツの穴を塞ぐことは、地域経済への大きな力になるはずです。
これは、福井県池田町(人口2,700人)における食料と燃料の購入状況とその傾向です。町内で購入したものは青色、町外で購入したものは橙色でその金額が示されています。生鮮野菜、肉、鮮魚、お菓子、惣菜・弁当、アルコール飲料、あるいは外食などに利用したお金が、かなり多く町外に出て行っていることがわかります。
人口3,000人規模の家計収入の総額、58億円のうち、地域内では3億円しか使われておらず、地域内でのお金の循環はほとんどありません。
これは、島根県中山間地域研究センターの藤山浩氏が考えたナリワイの形です。地域に入って農業をナリワイとしてやりたいと考えた時、最初の1年目は農業だけではほとんど成り立たず、収入は0.2人分程度です。それを補助金などで埋めても、まだ不足します。その不足は、集落の様々な分野の仕事で埋めていきます。いずれも0.2人分~0.4人分などの小さな仕事です。こうして、コンマいくつの仕事の合わせ技で組み合わせていきながら、1人前の収入を得ていくというやり方です。そうしていくうちに、毎年、少しずつ農業収入も増加して、5年目には農業収入だけで何とかやっていけるようになるという図です。
もう一つは、季節産業をつないで収入を得るという方法です。季節商売だからこそ、それだけでは成り立たず、消滅しかかっている職業がたくさんあります。例えば、クリ農家の収穫期は1ヶ月程の期間だけ、一日当たり100人が必要になります。季節ごとにそのような仕事をつなぎ合わせてナリワイを作ることも可能だと考えています。
仕事は「創出」しなくても、実は地域の中に潜んでいます。これは、愛知県豊田市旭地区で暮らす戸田友介氏の仕事一覧です。彼は、「とことん地域の中に入り込んで生きることによって仕事は生まれる」といいます。皆さんも、ぜひ、自分なりの百業のあり方を考えてみてください。
■先輩たちに学ぶ ―これからの生き方・働き方―
【風になって、ナリワイをつくる】 LLPナリワイ 伊藤洋志氏
ナリワイというのは、ビジネスではなく、個人でどうやって家計を作っていくということだと捉えています。
例えば、私がやっていることのひとつに「モンゴル武者修行」があります。遊牧民の暮らしや技を実地体験するツアーで、自分たちでゲルという住居をつくって泊まったり、モンゴル料理を教わったりします。これは、年2回開催しており、参加者がいなければやりません。ポイントは、固定費をかけないため、赤字にならないということです。
また、「全国床張り協会」という活動もしています。これは、床張りをしてほしい家の持ち主と、床張りを体験したい参加者を募集して、月1回ペースで開催しています。家の持ち主には、材料費だけを出してもらいます。参加者は5,000円の参加費を支払うと、工具が借りられて、未経験者でも床を張ることができます。もちろん、未経験者だけではできないので、経験者が指導し、チェックします。この方法だと、16畳の床の張り替えが、通常70~80万円かかるところ、20万円くらいで出来てしまいます。この企画の良いところは、床を張っているうちに、参加者同士の人間関係ができるということです。
もう一つは、農家の手伝いです。これは、友人の梅農家を手伝ったことがきっかけでした。梅の栽培農家は、収穫時期になると毎日大量の梅をとらなければならないので、梅を高く売る工夫をする暇がなく、手っ取り早く市場に買い取ってもらうことが多いと言います。そうすると、販売価格が1kg1000円だとしても、農家の手取りは200円にしかなりません。そこで、私がホームページを作って1000円で売り、売り上げを農家さんと山分けすることにしました。
木造校舎で結婚式を開くという仕事をしたこともあります。通常、式場で結婚式を挙げると何百万というお金がかかります。そこで、廃校になった木造校舎を借りて結婚式を開くことにしました。会場代は、4日間借りて5,000円でした。会場づくりには、新郎新婦も参加して、司会者は友人の一人がやりました。出席者の特技や、地元の仕事を結集した結婚式をコーディネイトすることができました。
<ナリワイのポイント>
私のナリワイのポイントは、たくさんのお金を無駄に使ってしまうことがないように工夫すること。また、低投資の起業であることも重要です。支出を減らしながら、収入を作ること。複数の仕事を組み合わせて生計を立てること。仕事をしながら心身を鍛え、技を身に付けることが、特徴として挙げられると思います。そして、普段からそのナリワイのヒントを探しています。たとえば、「余っているもの」がある。「生かし切れていない」、または「捨ててしまっているもの」などは、ナリワイに工夫できる可能性があります。これは梅農家の例が当てはまりますな。次に、「無駄な支出」です。これは結婚式の例に当てはまります。最後は「関心」です。「困っていること」や、「詳しくなりたいと思うこと」を探します。これは「全国床張協会」の例に当てはまります。
分野の選び方と組み合わせ、規模の適正範囲を見極めることも重要です。最小のコストで、最大の効果がえられるもの。さらに時間をかけて育つものを選ぶこともポイントです。イベントやワークショップをする場合には消耗しないように心掛けます。サイトを作っておき、時間をかけて。そこに情報を見に来る人を増やします。テーマは漠然としたものではなく、ピンポイントであるほど良いです。
梅農家の例で言うと、あくまで「自分が欲しいもの」にこだわっています。そうすると、勝手に売り上げは伸びていきます。具体的にいうと、まず、投資額3.7万円でサイトを作り、梅の農家の面白情報をサイトにアップしました。そして、落ちる寸前の一番完熟した梅を、採ったその日に段ボール詰めて発送しました。梅販売は、2012年に始めて、その年は約45,000円の売り上げがありました。次の年は約30万円、その次の年は50万円を超えました。こういったナリワイはゆっくり成長していきます。営利企業からは「遅い」と言われるペースです。最初は、素材販売から始め、次に加工品へと段階を踏んで育てていきます。農作業をナリワイの一つにすると、足腰も強化されて、自身の健康にも繋がり、「無駄な医療費を掛けなくて済む」ということにもなります。支出を減らし、自分の生活の質を上げていくことも大切です。
さらに、梅農家のような小商いは、同じ方法でみかん、桃など増やしていくこともできます。モンゴルのツアーも、次はタイで、竹の家を建てる山岳民族のツアーが決まっています。
<まとめ>
ナリワイの成長スピードはゆっくりですが、景気はあまり関係ありません。支出も減って、生活の質が上がります。ですから、やっていけない方がおかしいとも言えます。まずは、やってみましょう。
【土に根ざし、ナリワイをつくる】 蒜山耕藝 高谷裕治氏・高谷絵里香氏
東京からIターンで真庭市中和地区に来て、今年で5年目になります。私、裕治は、横浜市の福祉の専門員でした。絵里香は化粧品販売やカフェのスタッフなどをやっていました。現在は、3.5町歩の稲作と、3.5町歩の畑作をやっています。ほぼ全面積で自然栽培です。米や野菜、あられなどの加工品の販売なども行っています。
きっかけは、食べ物が持つ意味を考えた事からでした。まず初めに、千葉の農家さんに研修に行き、自然栽培を学びました。これからの生き方を腹に落とし込みたいという気持ちになり、千葉で独立しようかというときに、2011年の東日本大震災が起こりました。中和地区に入ったのは、その約半年後の8月の終わりです。
初めは、岡山に移住した友人がおり、岡山市内を拠点に中国地方で自然栽培ができる農地を探しました。こだわったのは水です。また、パン屋タルマーリーさんともお付き合いがあり、彼らが真庭市内に移住していたことも、ここを選んだことに影響しています。
<中和地区への移住後>
初めは野菜を売って、米を買う生活を想定していました。ですが、たまたま買ったお米を美味しくないと感じたことや、お米を買う生活は何か違うと感じ、中和地区で田んぼを借り、自分たちでお米を作るということに流れ着きました。そして、友人の、もう一家族と一緒に「合同会社 蒜山耕藝」を立ち上げました。
蒜山耕藝の食卓「くど」は、もともと空き倉庫だった建物を改装しています。床の張り方も、壁の塗り方もわからない、全くの初心者でしたが、たくさんの方の協力があって、すべて手作りでリノベーションしました。「くど」では、料理も提供していますが、これも最初からそうしようと思ったわけではなく、おのずと現在の形になっています。
農家もはじめから目指していた訳ではありません。また田舎に移住したいと思っていたわけでもなく、今こういう形でやっていることはとても不思議に感じています。しっかりとした構想があったわけではなく、「出会ったみなさんが導いてくれた」という感じです。そして、最近は、新しいIターンの方も増え、嬉しく思っています。
私たちにとって、中和地区は特別な場所だと感じています。中国山脈のてっぺんにあり、自然豊かで水が美味しく、風通しも良く心地よい場所です。お米も、野菜も、味に透明感があるように感じられます。それでいて、40分走れば倉吉という街に行ける便利な場所でもあります。
華やかではないけれど落ち着く中和の風景のなかで、私たちはいつまで続けられるのか、何ができるか、いまも悩みますが、作ったものを食べてもらうことはできると思い、日々過ごしています。
【里を愛し、ナリワイをつくる】 一社アシタカ 赤木直人氏
私は、7月にお話させていただいたとおり、ボイラーやストーブ用の薪の供給事業を中心に、たくさんのナリワイを組み合わせて、家計を成り立たせています。その中身は、薪を中心に、クロモジ茶やクロモジオイルの抽出、川遊び・雪遊びなどのイベント実施、薪割り体験受入・視察対応。冬季は大根の燻製(いぶりがっこ)、一の茅集落のもち米を使った加工品開発、蒜山やきそばの出店、移住定住住宅の管理、地域づくり委員会などの地域の仕事などです。それ以外にも、集落の田植えや稲刈り、お役などもあります。
一日の中で大切にしているのは、家族との時間です。朝は、子どもを見送ってから、家を出て、薪やクロモジなどの作業をして、17時には家に帰ります。土日は基本的に子どもと過ごす時間に充てています。
<これまでの経歴で得たもの、得られなかったもの>
生活雑貨のバイヤーをしていた頃には、お金や小売業の仕組み、精神的強さ、広告代理店の使い方などをスキルとして得ることができました。一方で、家族との時間や地域との関わりなどの会社以外の人間関係は、ほとんど得られませんでした。観光協会で働いていた頃には、真庭市の全体像、行政との関係、バイオマス関係の知識、旅行業の資格、駅業務の知識、チラシ等のデザインやWeb関連などのスキルを得ることができました。一方で、すでに中和地区に住んでいたにもかかわらず、地域との関わりは持てず、お金や時間の融通も得ることができませんでした。ですが、かつての仕事で得たほどんどのスキルは、今のナリワイに役立っています。
<生活バランスの変化>
自分の労力や時間を何に費やして、何を得ていたのか。昔と今のバランスを見てみると、大きく変化したことに気づきます。バイヤーなどの仕事をしていたときは、その対価としてお金を充分に得ることが出来ていましたが、家族との時間や自分の自由時間、また地域や自然環境との関わりは、ほぼ皆無な生活でした。ですが、今は、収入は減っても、時間に余裕ができ、ナリワイの中で地域や自然との関わりも濃くなっています。
地域との関係性と家族との時間を大切にしたいという思いが、中和地区に住み、一社アシタカを立ち上げ、今の私のナリワイを形づくっているといえます。
■夕食
今回は、中和地区の福祉サービス拠点である「すずのこハウス」にて、夕食をいただきました。中和地区にあるハッスル母ちゃん工房の皆様のご協力により、中和の美味しい食材で食事を作っていただきました。前回に引き続き、ありがとうございました。
夜は、トヨタ財団プログラムオフィサーの加藤剛様を特別ゲストとしてお招きして、前期講座の振り返りワークショップを行いまいした。
塾生は、まず二人組になり、お互いをインタビューする形で、真庭なりわい塾に参加した動機や、受講を通しての「気づき」、自身の変化、これからの自分の生き方などについて、思いを聞き合いました。その内容は、聞き手が文章にまとめて、シートに書き込んでいきます。聞いた内容を、グループで共有する際も、聞き手が話し手の思いを代弁し、紹介しました。記入したシートは、話し手に返します。そして、各自、話した内容を振り返りながら、「稼ぎ」「務め」「暮らし」の今のバランスと、将来の理想とするバランスをグラフに表して、ワークショップを終えました。
これまでの講座では、自分の思いを言葉にしたり、塾生同士で共有したりする機会が少なかったため、今回のワークショップでは、塾生が自身を振り返り、お互いに刺激を得る良いきっかけになったと思います。
2日目は、講師に塩見直紀氏(半農半X研究所)をお招きして、レクチャーとワークショップを行いました。
(※内容を一部抜粋して掲載します。※講義資料はこの報告の最後に添付します。)
<半農半Xが誕生した時代>
半農半Xという言葉が誕生して20年になります。この言葉の意義は、方向性の提示だと思っています。いま世界は台風前の海に漂っている小舟ようです。黒い雲が立ちこめ、北極星も、灯台の灯りも見えず、向かう先がわかりません。船にあるはずの羅針盤も壊れていたり、海に落としていたりします。そんな時代をどう生きるか。「半農半X」という言葉は、そのヒントを教えてくれます。
<自己紹介>
私は、1965年、京都府綾部市生まれです。現在、綾部で「半農半X研究所」という1人研究所と、「半農半Xパブリッシング」という1人出版社をやっています。また、コンセプトスクール、半農半Xデザインスクール、綾部ローカルビジネスデザイン研究所、スモールビジネス女性起業塾などもやっています。
私は、京都府綾部市の兼業農家に生まれ、祖父は養蚕の指導者、父は教員でした。母は小学校4年生で亡くなり、昔の知恵などは祖母から教わりました。同級生は9人、全校生徒は60人という小学校に通いました。私は、ファーブルに憧れた昆虫少年でした。そして山の神様の行事のために藁と竹で家を造って毎年供えたり、蕗を採って夏の花火代を稼いだり、そんなことが当時の子どもたちの役割としてありました。
綾部市は、JR京都駅から特急で1時間ほどのところにあります。人口は約3.3万人です。毎年200人くらいの若者が、大学進学で外へ出ていきます。民衆宗教「大本教」の開教地、郡是製糸(グンゼ)の地、合気道の発祥の地、世界連邦都市宣言第1号など、様々な顔を持つ市です。
<~金か、事業か、思想か。~>
28歳の時、内村鑑三が33歳の時の言葉「我々は何をこの世に遺して逝こうか。金か、事業か、思想か。」という言葉に出会いました。33歳を「人生の再出発のとき」と決め、10年間、勤めた会社を卒業しました。その当時の悩みは、環境問題の時代をどう生きるかということと、自分の使命は何かということでした。その悩みが「半農半X」を生んだのです。
「半農」には環境との関わり、「半X」は天職、つまりどう生きるかという意味が含まれています。大好きなことも得意なこともライフワークも特に何もありませんでした。こんな僕でも、それでも天が与えた何かがあるはずと考え、その未知なるものを「X」と呼びました。この言葉の誕生により、自分探しを終えました。その後は、同じ悩みを持つ人が周囲に多いことに気づき、「半農半X」を伝えることが仕事になっていきました。「半農半Xという生き方」という本を出版したのは、2003年です。そこから口コミで広がっていき、台湾・中国・韓国でも翻訳版が出版されました。
<半農半Xの考え方>
「半農半X」には、時間や場所、農地の面積は関係ありません。どんな規模でも、どんな場所でも、短時間でもいいのです。Xの形態は、フルタイム、ボランティア、会社員、公務員、企業、何でもよいのです。複数あってもいいかもしれません。
志は、「田もつくろう、詩もつくろう」です。「田をつくるより、詩をつくれ」はアーティスト的な生き方で、「田も作るな、詩も作るな」は危険な現代を表現しているとすると、「田もつくろう、詩もつくろう」は21世紀的な半農半Xの考え方だと思います。
「X」は2本の線がクロスしてできています。1本は自分、もう1本は社会・自然・他者などです。それが組み合わさることで、何かが生まれるということです。
半農半○と言う言葉は、「半農半X」以前からありました。半農半漁、半農半士、半農半医、半農半画家(島崎藤村「嵐」)、半農半工(宮大工・西岡常一)、半農半陶、半農半教員、半農半著などです。最近では、「半農」ではなく、半猟半X(岐阜 猪鹿庁)、半公半X(京都府)、半漁半X(京都 海の民学舎)、半X半IT(徳島県美波町・IT企業)といったものも増えてきています。「半農半X」は、二次創作ができ、見た人が完成させていくことができるのが特徴です。
<Xを探す、アイディアを見つける>
何事においてもその道のプロになるには、1万時間かかるといわれています。1万時間を割くということは、1日あたり8時間の場合、365日で3年かかります。1日あたり1時間の場合は、365日で27年かかります。20代で一つの1万時間、30代でもう一つの1万時間、50代でさらにもう一つの1万時間をかけると、それが天職につながっていくと考えています。天職が「農」であっても、「X」であっても良いのです。二兎追うものは一兎をも得ずといいますが、「半農半X」の場合は、二兎追うことで見えてくるものもあると考えています。
「アイディアとは、既存の要素の新しい組み合わせだ」といわれます。また、「アイディアは交差点から生まれる」ともいいます。この、なりわい塾は、先人知×若さ、リスペクト×インスパイア、OLD+OLD=NEW、ローカル×先端などの組み合わせだと感じでいます。「あるものでないものをつくる」のが、アイディアです。
私は、1人1研究所を提案しています。ひとりひとり、自分の研究所をつくりましょう。「3年先の稽古」という相撲界の言葉もあります。場所が決まれば修行が始まります。自分のやりたいことをためらわずにすることが大切です。
講義の後は、ワークショップを行いました。
- 自分AtoZ、自分の中のキーワードチェック
まずは個人ワークです。アルファベットのAからZの頭文字に当てはまる、自分なりのキーワードを探していきました。キーワードは、気になっていることや、大切にしていること、お気に入りの場所やモノなどです。5分で50個のキーワードを探し、グループごとに一人1分で発表し共有しました。
2. 「自分の型」をつくる!
次に、活動したい場所を分母として1つ、活動のキーワードを分子に3つ選びました。場所は出来るだけ具体的に挙げます。キーワードは、大好きなこと、得意なこと、気になるテーマなどです。これが自分の型になります。これもグループで共有しました。
3. やりたいことを棚卸する!
一度きりの人生で叶えたいことを、それぞれ8つ書き出して、グループで共有しました。
最後は、塾生全員の1人研究所「○○研究所」を発表して、ワークショップは終了となりました。塾生の○○研究所が、1年後どんな形になっているか楽しみです。
最後に、塾長の澁澤寿一氏(認定NPO法人共存の森ネットワーク理事長)が講義を行いました。
(※講義内容を一部抜粋して掲載します。※講義資料はこの報告の最後に添付します。)
■講義「これからの生き方、価値観を考える」
<ウルグアイ・ムヒカ大統領のスピーチ>
はじめに、「国連持続可能な開発会議(リオ+20)」(2012年6月20日)における、ウルグアイのムヒカ元大統領のスピーチを紹介します。
今日の午後からずっと、多くの人々を、その貧困から救い出そうという、「持続可能な発展」のことが話されてきました。そこで、我々の頭の中にちらついているものは、何でしょうか。現在の豊かな社会、すなわち「発展」と「消費」の形でしょうか。私はここに質問をしたい、もし今ドイツ人の各家庭が持っているのと同じ数の自動車をすべてのインド人の家庭が持つようになったら、この地球はどうなるでしょうか。私たちが呼吸できる酸素は、どれほど残るのでしょうか。もっとはっきり言えば、今最も富裕な西洋社会が享受しているのと同程度の消費・浪費の生活を、世界の70億、80億の人々に可能ならしめるに十分な資源が、今日この世界にあるというのでしょうか。
昔の思想家たち──エピクロス、セネカ、そしてアイマラ族も、「貧しい人とは、少ししか持っていない人のことではなく、際限なく欲しがる人、いくらあっても満足しない人のことだ」 と言っています。これこそ、これからの時代、人類が生き残るための文化を決めるキー(鍵)なのです。
私は、ここでなされる合意およびその努力に敬意を表したいと思います。そして、国の代表として、それに従うつもりです。私が今述べていることは、耳触りなこともあることを承知しています。しかし私たちは、水資源の危機、環境が脅かされている危機が、環境問題の本質ではないことに気づかなければならないのです。原因は、私たちが造り出した文明の形なのです。そして、私たちが見直さなければならないのは、私たちの「生活様式」、それが形づくる「文化」なのです。
私の言っていることは、最も根本的なことです。発展は、幸福と対立するものであってはいけないのです。人間の幸福、至上の愛、人間関係、子孫への思いやり、友人を持つこと、
生存のための基本的必需品を持つことに寄与するものでなければならないのです。
まさに、幸福こそが、私たちが持っている最も大切な宝なのです。私たちが環境のために戦う時には、最も大切な環境の要素は、人間の幸福と呼ぶものであることを忘れてはならないのです。(以上、ムヒカ大統領のスピーチより)
<人間にとっての“幸せ”とは>
私たち人間にとっての「幸せ」とは何でしょうか。現代は無縁社会といわれますが、他者とのつながりを「つまらない」「めんどう」だと思っていては、「幸せ」になりません。「めんどう」と「楽しい」の組み合わせだけでも「幸せ」の実感はありません。「楽しい」ばかりでも、人は「幸せ」には辿りつかないのではないでしょうか。「幸せ」になるためには、「共感」が不可欠である気がしています。
京都大学の山際寿一先生によると、類人猿の中で「共食」するのは、人間とゴリラだけだといいます。人間とゴリラだけが、食事を分け合って食べるのです。しかし、人間の世界では、食卓を囲まない家族が増え、地域コミュニティが崩壊しています。これは、人間がサル化しているということです。共に四季を過ごし、食べ物を作り、祭りをしてきたのが日本の地域コミュニティであり、それが共感の範囲なのです。そこには、共感、役割、共食、シェアが自然と息づいていました。人々の関係性が遮断された社会が再びつながるには、お互いが関心と共感を持ち合うことが重要です。そして、人と人、人と自然、世代と世代が、つながることが持続可能な社会をつくると考えています。
<お金があれば幸せなのか>
明治になって澁澤栄一は、なぜ、この国に資本主義を持ち込んだのか。それは、士農工商を終わらせたい、という思いからでした。お金の前ではみんな「平等」です。そして、その資本主義を成り立たせる根幹にあるのは「信用」です。
ところが、1990年以降のグローバル経済の流れの中で、資本主義は暴走を始めます。公平だが限度がない「お金」はバーチャルな貨幣を生み、ウォール街では、実体経済の70~100倍のバーチャルマネーが取り引きされています。「信用」が失われたところでは、資本主義そのものも、いずれ成立しなくなります。「お金」は、70億人の生存を担保してくれるのでしょうか。日本は、お金を貯めれば食糧は買えるんだ、という前提で、この国をつくってきました。日本の都道府県別食料自給率見てみましょう。都会ほど自給率が低い結果となっています。
私は、かつてミャンマーでマングローブの植林の仕事をしていたことがあります。そのときにお世話になったウォンさんは、農水省のOBでNGOのトップでした。あるとき、彼に「人生最良の日はいつですか」と聞いたことがあります。すると彼は、かつてFAO(国際連合食料農業機関)の事務所に出向し、日当30ドルのお金をもらったときだと即座に答えました。それはミャンマーでは大変なお金です。その大金をどうしたのか。彼は翌日、妻を銀行に行かせて10ドルの貯金を下ろし、あわせて40ドルをお寺に寄進をしたそうです。寄進すると金箔がもらえます。それをパゴダ(仏塔)に貼る。つまり、ミャンマーには、可処分所得を宗教的な価値に変えるという習慣があり、それこそが人々にとっての幸せなのです。だからミャンマーは今でも、世界で最も貧しい国のひとつです。でも、それは本当に貧しいのか。私たちは、お金さえあれば幸せなのか、改めて考えなければならないと思います。
<ダムの底に沈んだ奥三面集落>
私が48歳のとき、新潟県村上市(旧朝日村)の奥三面集落に出会いました。2000年にダムの底に沈んだ42戸の集落です。
奥三面川流域では、1967年(昭和42年)に村上大水害と呼ばれる水害があり、ダム建設の話が持ち上がりました。下流を水害から守り、地域にお金を落とす公共事業であるダム建設に、反対する人はほとんどいませんでした。反対したのは移転を余儀なくされた奥三面集落の人たちだけでした。
奥三面集落が、1985年(昭和60年)に全戸移転をしてから、ダムが完成するまでに15年もの月日を要しました。埋蔵文化財調査に予想以上の時間がかかったためです。地層を掘り下げていくと、この地域に人々が暮らしていた形跡が、新しい層から順に途切れることなく出てきました。その形跡は、1万3000~4000年前の縄文草創期を越え、ついには、2万3000年前の桜島噴火の地層の下の旧石器時代まで遡ったのです。人間が営みを始めたその時から、ダムに沈むまで3万年もの間、人々が暮らしていた地域であったことがわかったのです。
ダムが完成する2000年9月29日~10月1日に、シンポジウムが開催されました。3万年続いた人々の暮らしを検証しようという内容です。そこで、奥三面集落の対岸、“アチヤ平”に、かつて存在していた竪穴住居群の調査結果が報告されました。“アチヤ平”には、縄文期に約1500年間続いた20戸の集落があったのです。その集落の各戸の住居の出入り口に、60~70㎝の寸胴の蓋の付いた土器が埋められていました。その土壌を分析したところ、99%の確率で人間の乳児が埋められていたという調査結果が出ました。それに対する人類学者の考察は、死んだ乳児をまたぐことによって、生命が蘇りを願う風習のようなものが、かつての奥三面にあったのではないかというものでした。
そのとき、会場にいた一人のお婆さんが、「それは違う」と声を上げました。いったいどうしたのか。会場にいた全員が驚いて話を聞きました。
かつての奥三面では、子どもが5歳まで育つのは稀でした。子どもが熱を出すと、子どもは人が背負って山道を走り、村上の町まで出なければ病院がありません。どんなに一生懸命走っても、7~8時間はかかります。湯たんぽのように熱かった子どもがだんだんと背中で冷たくなるということを、奥三面のほとんどの人が経験しました。そうして亡くしてしまった子は、男たちが寝静まった頃に、女たちの手によって家の戸口に埋められました。なぜ、家の戸口に埋めたのか。司会進行役をしていた女優の浜三枝さんが、そのお婆さんに尋ねました。すると、お婆さんは、「亡くなった子が寂しいだろうから、家族の声が聞こえる戸口に埋めた」と答えました。お婆さんは、ダムに沈む前に、そんな子どもたちがここにいるということを、今、言っておかなければ、誰もわからなくなってしまう。そう思って声をあげたそうです。また、三面では「42戸を超えたら生きていけないという掟があった」と言います。ですから、かつては、予定外に生まれてしまった子を、産んですぐに自分の手で始末する(間引き)があったそうです。
持続可能な社会の根本には、優しさや愛、慈しみという感情があります。そして、自分で産んだ子を、自分の手で始末する。そのことを自ら受け止め、家族同士、集落に住む人同士で赦し合って生きていかなくてはならないという複雑な感情もありました。
経済、そして競争だけの社会では、持続可能な社会はつくれません。もう一度、優しさ、愛、赦し、慈しみといった感情や感性を、第一に考える社会に変えていかなくてはならないと思います。
■塾生の感想
<農山村の100のナリワイを考える>
「失業とか、ワークシェアについて、自分が漠然と考えていたことが、社会からみてどんな位置づけになっているのか、イメージが出来ました。社会の全体像も把握しておくことは、大切なポイントだと感じました」
「田舎の豊かな年金3万円の老人のお話が印象的でした。食を自給できる生活は強いと感じました」
<先輩に学ぶ―これからの生き方・働き方―>
「様々なナリワイを組み合わせることは、とっつきにくいようなイメージだったが、実際はトライアンドエラーの中から生まれていると分かった」
「初めから今の形を決めていたわけではないと聞いて驚きました。“こんな生き方がしたい”というビジョンがブレなかったから、形が整っていったんだと思って勇気づけられました」
「“稼ぐことが目的ではない”という信念があるのは、大切なことだと感じました」
<前期振り返りワークショップ>
「自分のビジョンを再確認することができました。言葉で相手に伝えることの大切さを感じました」
「人に話を聞いてもらうことで、気持ちを引き出してもらえた気がします」
「一人ひとりが一歩ずつ前に踏み出していることを知り、励みになりました。具体的な行動に移りたい気持ちが大きくなりました」
<自分のXを考える>
「自分にとってのXを考えること、そして、研究所づくりを早速やってみたいです」
「ワークショップは、自分のやりたいことをはっきりと見つめ直し、具体的な道筋を考える手助けになり、充実した時間になりました」
「他の塾生との共通点や意外性なども知ることができ、発見が多いワークショップでした」
<これからの生き方、価値観を考える>
「今の資本主義社会に対する疑問の根本には、本当は、怒りとか悲しさがあるのかもしれないと思いました」
■おわりに
食事、宿泊の準備にご協力いただきました中和地区の皆さま、本当にありがとうございました。
また、今回も地域のコミュニティハウスに宿泊させていただきました。皆様、ご協力ありがとうございました。
次回の講座は10月8~10日(土~月)、「コミュニティの原点を学ぶ~人と人、人と自然、世代と世代をつなぐ~」です。
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真庭なりわい塾 第5回講座
「これからの生き方を考える」
開催日:2016年9月10、11日(土・日)
会場:中和保健センター「あじさい」
内容:
(1)講義「農山村の100のなりわいを考える」
(2)「先輩たちに学ぶ ―これからの生き方・働き方―」
①風になって、ナリワイをつくる
②土に根ざし、ナリワイをつくる
③里を愛し、ナリワイをつくる ※資料「里を愛し、ナリワイをつくる」.pdf
(3)前期の振り返りワークショップ
(4)レクチャー&ワークショップ「自分のXを考える」
(5)講義「これからの生き方、価値観を考える」
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