6月1日(土)~2日(日)に、第4期真庭なりわい塾が開講しました。
今期は24名(男性11名、女性13名)の塾生が、真庭市中和地区に通い、共に学びます。初日は、真庭市の吉永忠洋副市長の歓迎の挨拶から始まり、続いて渋澤寿一塾長による「真庭なりわい塾の目指すもの-地域とは何か・集落の歩き方-」と題した講義が行われました。
初回講座のメインは、グループに分かれて集落を歩く「地元学」です。
「地元学」とは、案内役の地域の方と一緒に集落を歩き、森や田畑、家々、神社や祠、水路、風の通り道など、当たり前の風景から、その集落の成り立ちについて読み解く手法です。
今回は中和地区の4つの集落に分かれて「地元学」を行いました。塾生は、集落を歩きながら、その場でみつけたもの、疑問に思ったことなど、地元の方に尋ねます。
風はどこから吹いているのか?
この石仏は何か?
水源はどこにあるのか?
植林される以前は、どんな風景だったの?
この小屋は何に使うのか?
神社にはいつお参りするのか?
塾生が尋ねることは、地元の皆さんとっては日常の、当たり前のことかもしれません。でも、改めて丁寧に聞いていくと、その土地固有の風土や文化が見えてきます。
地域固有の風土とは、地質、日差し、風の吹く方向、雨の降り方など、すべてです。
水、土、光、風が違えは、生えてくる植物も違います。
植物が違えば、食べ物が違うし、道具や建物に使う木も異なります。
農林漁業のあり方も変わってきますし、食べ方や住まい方、信仰や祭礼も変わってきます。
そして、それぞれの風土には、理にかなった暮らしがあります。
昔から変わらず、大切にされているもの。時代とともに変化したもの。今は、それがあることの意味すらわからなくなっているもの。そのひとつひとつを丁寧に聞いていきました。
そして、2日目にはグループごとに「地元学」の結果を発表し、シェアしました。
【一の茅集落】
滝があり、不動様があり、水路があり、水が集落を巡っている。水路には下りることもできて、野菜を洗い、昔は洗濯もした。各過程には、井戸もあり、今も使っている。一の茅では、
毎月のように祭りや行事がある。コンバインなどの農機具も共同で使っている。田植えが終わった後の「しろみて」をはじめ、祭りの直会など、とにかく、みんなで飲む機会が多い。非常に結束力の強い集落だと感じたが、その根底には、水があると感じた。
【津黒集落】
圃場整備前の田んぼの地図を地元の方に見せていただきながら歩いた。津黒山から津黒川が流れ、その水を引いて田んぼを開いている。田んぼは、川に沿って東西に並んでおり、日当たりがいい。家は里山を背に、南を向いて建てられている。現在の田は1区画約30平米の長方形だが、昔は蓑を置いたら隠れてしまうほどの小さい田があったと聞いて驚いた。一人暮らしが増えて、祭りは途絶えていた。地元の方には復活したいという願いがあった。
【真加子集落】
水路が集落を巡っており、水神様がたくさんある。子どもが泳いでもいい場所と、泳いではいけない場所を区別していた。集落の家々には毎日、木札をまわして神社にお参りする風習がある。かつて家は茅葺きで、茅場は共同で管理していた。毛無山と呼ぶ共有の山があり、かつて牛を飼っていたときは採草地にしたと聞いた。集落の戸数は、昔から14軒とずっと変わらない。暮らしや生業は変化していても、人々の結束は変わらない。
【吉田集落】
吉田はかつて地主だった方が多く、大きな家が多い。川は赤い鉄分を含んでいたので、尋ねてみると、昔はこの地でたたら製鉄が行われたと聞いた。「共に生活を守る隣人」とかかれたお堂があった。吉田には、中和にひとつしかない商店がある。昔は人口が多く、だいぶ地域の稼がせてもらったので、今は、そのお返しに移動販売車を出すなど、地域に貢献しているという。野菜を道の駅に共同で出荷するプロジェクトも行っている。
発表の最後に、渋澤塾長からのコメントがありました。
「都会では、どこに住んでも自由に暮らせるという感覚があると思います。しかし、集落を歩いてみて気づいたように、かつては自然の成長量に応じて、そこに暮らせる人数も限られていました。その年の天候によっては農作業の時期がずれることがあります。人々は助け合いながら、(人間側の都合ではなく)自然の都合にあわせて生きてきました。今回の地元学を通して、私たちが生きる前提には、まず自然があり、その上に人の暮らしがあるということを改めて考えてほしいと思います」
次回は、「食と農」をテーマに学びます。
【講義資料】