第2回「地域の産業と暮らし~食と農~」

2016年6月11~12日(土・日)に真庭なりわい塾の第2回講座を実施しました。

今回の講座は「地域の産業と暮らし~食と農~」と題し、講義とあわせて、庭先調査と食と農に関する聞き取りを地元の方に行いました。

 

講義はじめに、副塾長の駒宮博男氏(NPO法人 地域再生機構理事長)が講義を行いました。

(※講義資料はこの報告の最後に添付します。)

 

■講義「食と農の変遷」

<あなたの体は何で出来ているか>

今回、皆さんにお伝えしたいことは、食と農の根本は「身体性」であるということです。つまり、「自分の体が何で出来ているか」ということです。

福島の原発事故により避難することを強いられた、あるお爺さんは、「わしの手や足をもいで置いていけというのか」という表現をしたそうです。有機農業を営んでいたこの方にとって、故郷の土は自分の体と一体化しています。それを切り離すなんてことはできないということです。

人間の体細胞は、3ヶ月でほぼ交換されます。マウスの実験では、食べものの中に含まれていた放射性元素が3時間後には、しっぽの先まで到達しています。食べたものは、自分の体を循環するということです。毎日コンビニで買ったもので食事していれば、コンビニの食べもので作られているということになります。

そもそも、どこからどこまでが自分の体なのでしょうか。例えば、気体の分子運動はすごくスピーディーですから、今、私の肺の中に入っている空気が、知らないうちに皆さんの肺の中に入っているということが起きています。分子レベルで言うと、どこからどこまでが自分の体か、という確定的なことは言えないということです。突き詰めていくと、「個人」という概念も、その境目はないのかもしれません。

 

<和食の基本 ~米~>

まず、日本の米作りの様々な方法、種類を紹介します。

オーソドックスな米作りというのは、「多肥料」「多農薬」の農協指導型の米作りです。そこから「進化」したものとして、「合鴨農法」や「レンゲ農法」等、様々な工夫があります。さらに「進化」したものとして、「自然農法」の福岡式、岩澤式、川口式などがあります。「進化」というのは、主に除草に関する技術が進んだということです。自然農法は、数年かかって完成する農法なので、一般農家はなかなか手が出せません。

 

米作りの実例として、私がやっている方法を紹介します。(※下左図を参照してください。)様々な作業がありますが、その中で代表的なのは「田植え」と「稲刈り」です。ただ、それは、たくさんある作業の中のごく一部です。その中で最初の作業は、籾を水に浸けるということです。「積算100度」と言い、1℃の水であれば100日間浸けます。4℃の水であれば25日間浸けます。多くの方は、この手間を省いて、農協で苗を買ってきます。田植え前から刈り取りまでの間は、とにかく草を取るという作業が続きます。通常、刈り取った後は、籾摺りの後に玄米で農家ごとに保存するか、農協の保冷庫に預けます。私は、籾で保存して、食べる時に籾摺りと精米をします。籾の状態のお米は生きていますから、非常に美味しいです。

 

次に、日本の米の収穫率がどのくらい変化したか、という話に移ります。明治22年から平成20年の推移がこちらのグラフです。(※下中央図を参照してください。)米の反収(たんしゅう:10a=1000㎡当たりの収穫量)は格段に伸びています。近年は反収9俵前後で頭打ちとなっています。昭和30年代頃までの日本では、1人当たり一石(2.5俵)、つまり年間150kgのお米を食べていました。現在では、1人1俵、年間60kgまで減りました。1石から1俵に単位まで変わっています。

このグラフで分かることは、米の反収は飛躍的に上がったが、米の消費は5分の2になったということです。この変化の背景には、日本人の食生活が大きく変わったということがあります。

次のグラフは、中和地区の米の価格の推移を表したグラフです。(※下右図を参照してください。)11967年に米の生産高は史上最高を記録しますが、1969年に転作奨励制度、1970年に減反目標を農家に配分、1978年以降、生産者米価の引き下げが続きます。その後、米の価格はどんどん下がり、現在は8,000円程度まで落ちています。そして、ここでも途中から単位が1石当たりから1俵当たりに替わっています。

米作りの実例コメ、反収の推移中和地区の米価推移

(※クリックすると画像が拡大表示されます。)

 

<食と農の分離>

食と農の分離

かつては、市場経済を介さず、家族内自給、地域内自給で、生産と消費が一体化していました。しかし現在は、食の市場経済化により生産と消費が分離しています。(※下図を参照してください。クリックすると画像が拡大表示されます。)

みなさんがよく利用するスーパーは、生産者不特定・消費者不特定の市場経済です。生協等の会員制のスーパーになると、生産者不特定・消費者特定になります。また直売所は、生産者特定・消費者不特定です。最近少しずつ増えているのが、生産と消費が連動したCSA(Community Supported Agreculture)です。これは、生産者特定・消費者特定の市場経済といえます。

食と農が分離した結果、自分の体が何からできているのかを実感することができなくなりました。身体性の崩壊です。これにより自然を自分の一部として捉えることもなくなりました。自然の外部化ということです。「自然の中に人間がいる」というのが、東洋的自然観です。これが崩壊したということになります。ちなみに西洋的自然観は、そもそも自然は「人間のためにつくられたもの」であり、「人間が管理するものだ」という思想です。

かつて、米作りが中心とした日本の農業は、共同作業が必要でした。そのため、必然的に共同体モラルが形成されてきましたが、それも今では、ほとんど崩壊しています。

 

<日本の低自給率>

世界各国の食料自給率の推移

このグラフは、世界各国の食料自給率の推移を表しています。この一番下が日本です。(※図を参照してください。クリックすると画像が拡大表示されます。)なぜ日本の自給率がここまで低いかということは、あまり分析されていません。

 

日本の穀物自給率は、1960年代頃から急激に低くなってきています。国別穀物輸入割合をみると、ほとんどがアメリカから輸入されていることがわかります。つまり、皆さんの体は、アメリカの土で作られた食べ物で出来ているということです。アメリカに頼ることにより、土壌流出や塩害、遺伝子作物など、様々な問題も生じています。できるだけ自給することが、やはり良いと言えると思います。

鶏も豚も牛も、穀物を食べて蛋白質に変換しています。鶏肉1kgに対して穀物2kg、豚肉1kgに対して穀物5kg、牛肉1kgに対して穀物8kgが必要とされます。肉類と穀物、どちらを食べてもカロリーは同じですから、蛋白摂取はカロリー的に非合理的と言えます。食糧危機の原因の一つは肉食の拡大です。

この50年で米の消費は半分になりました。それに替わったのが肉です。摂取カロリーはあまり変わっていません。つまり、それを米に戻せば、多少、自給率は上がるということです。とにかく米をもっと食べよう、日本酒をもっと飲もうということです。

また、肉食にも作法があるのではないでしょうか。スーパーは、見方を変えれば「死体置き場」とも言えます。自分で殺せる動物以外は食べる権利はないと考えるのが、本来の在り方ではないでしょうか。「命を頂く」ことを認識することの重要性が欠けてしまっているのが今の社会です。

 

米とパンの家計消費量(金額ベース)を見てみると、2009年に米とパンの消費が逆転してしまっています。小麦は7~8割が輸入ですから、やはり米を食べた方が自給率はあがるということになります。

日本人は、日本料理、中華料理、イタリア料理、フランス料理など、毎日いろんなものを食べます。こんなに多様な食生活をしている民族も世界では稀です。それが自給率にも影響しているということです。

日本で作られるものだけで食事をとること考えてみると、卵は1週間に1個しか食べられません。納豆は3日に2パック食べられます。牛乳は6日にコップ1杯です。味噌汁は2日に1杯しか食べられない。うどんは2日に1杯、牛肉は9日に約100gです。結果的に芋類に頼るということになります。贅沢な食生活に慣れた私たちにはとても耐えられません。

 

<換金性の高い作物と基幹作物>

換金性の高い作物をいくら作っても自給率はあがりません。やはり、米・麦・大豆のような基幹作物を作らなければなりません。

かつての日本では、その米・麦・大豆を中心に栽培してきました。米の裏作として大麦、大豆の裏作に小麦を作っていました。6月の今頃は麦の収穫期です。麦の収穫後は、急いで水を入れて田植えをするという、非常に大変な状況で、この時期を迎えていました。

1960年と2004年の麦の自給率を比較してみますと、小麦は39%から14%、大麦は104%から8%、裸麦は112%から80%と、裸麦だけがなんとか生き残っていますが、これだけ自給率が低くなっているという状況です。

 

米の価格は、30年前の18,000円/俵をピークとして、下落し続けています。2014年の米の価格は、その半分の8,000~10,000円程度ですから、半分まで下落してしまったということです。その結果、米生産者の全国平均の時給は180円です。日本の主食を作っている人たちは、ほとんどボランティアでやっているということです。

農業をビジネスで考えると、基幹作物は成り立たちません。結局は換金性の高いものを作らないとビジネスにはなりません。野菜を上手く売ってビジネスにすることはできますが、基幹作物を作らないと自給率は上がらないという矛盾があります。

 

<理想的な食と農の関係>

ヨーロッパの耕土は15cm程度しかなく、牧草くらいしか育たないため、家畜を放牧しています。ヨーロッパが肉食なのはそのためです。それに比べて日本の耕土は60cm程度あります。それだけ豊かに食料を育てることができるということです。

ちなみに、穀物の中で、単位面積当たりの最大カロリー収量が保障されているのは、米です。世界の中でも、米が出来る地域は人口が密集しています。これは米が文化を形成していると言えます。日本の文化は米です。そういう意味でも米を食べるということを大切にしても良いと思います。

 

<農家の現状>

豊田市の農業就業人口ピラミッド

愛知県豊田市の例を見ると、農業就業人口ピラミッドは、明らかな逆三角形となっています。(※図を参照してください。クリックすると画像が拡大表示されます。)2015年の農家の平均年齢は、74歳です。2005年から5年ごとに4歳ずつ上がっていますので、2020年には平均年齢が78歳になっているのではないかと予想しています。定年後に農業に戻る「定年帰農」ということが起こると考えられていましたが、結果としてほとんど起きなかったということになります。


岡山県真庭市の場合、農業従事者のうち、65歳未満の方は男性だと23.1%、女性だと15.7%しかいません。(※図を参照してください。クリックすると画像が拡大表示されます。)真庭の農業大部分を65歳以上方が背負っているということになります。

真庭市の農業従事者、中和地区の産業構造

中和地区の産業構造は、一次産業が21.2%、二次産業が36.6%、三次産業が42.0%となっています。一次産業の全国平均は5%ですから、中和地区ではその4倍の方が農林業等を営んでいらっしゃいます。これは希望が持てる話だと思います。

 

豊田市の米の自給率は約50%です。一方で、休耕している農地が約50%あります。休耕している農地で米作りが再開されれば、自給率は回復するということになります。

ところが、豊田市の足助地区では2015年に34,000箱出荷していたという稲の苗箱が、一年で24,000箱に減少したそうです。計算すると、40haの水田が耕作放棄されたか、もしくは「飼料稲」にまわったという可能性が考えられます。

 

<未来は展望できるか>

未来は展望できるか?

これは、人口の増加と一次産業の変化のグラフです。(※図を参照してください。クリックすると画像が拡大表示されます。)1950年頃から、一次産業人口は急激に減少しました。それに替わって二次・三次産業が増えていきました。三次産業に就いている方が一番多いという状況です。一次産業は「生きるための産業」です。二次産業は「生活を豊かにする産業」、三次産業は、半分以上が「虚業」なのではないかと思っています。

「半農半X」という言葉がありますが、今後は「生きるための産業」が重要な時代になってくると思います。

「食」と言うのは、人間が生きるための源であり、「幸せ」の源です。その部分を是非、中和地区の皆様から学んでください。

 

■「庭先調査と聞き取り」

今回は、中和地区13集落のうち、一の茅(いちのかや)、真加子(まかご)、荒井(あらい)、下鍛冶屋(しもかじや)、別所(べっしょ)の5集落で、昔の暮らしをよく知る、ご年配の方々のお宅を訪ね、グループごとにお話を伺いました。

田んぼで作っているお米、畑で育てている野菜、山や川からいただく動物や魚などの恵み、塩漬けなどの保存食、大豆から作る味噌や醤油など、昔と今の食生活の違いについて詳しく教えていただきました。代々、中和で受け継がれてきた食の知恵や工夫についても、教えていただきました。

 

■夕食と交流

夕食①

今回の夕食は、一の茅集落の皆さんが朝から食材を準備してくださり、また、パパラギ農園有限会社の三船進太郎さんが焼き鳥を、一般社団法人アシタカの赤木直人さんが蒜山やきそばを焼いてくださり、集落の皆様とも素敵な交流の時間を過ごすことができました。

また、今回も朝食の食材であるお米、卵、味噌、漬物は、中和地区の皆さんが作られたものばかりで、とても美味しくいただきました。

夕食の準備や食材の提供にご協力をいただいた皆様、大変ありがとうございました。

三船さん 焼き鳥夕食②赤木さん 蒜山焼きそば

 

■グループごとの発表

2日目は、前日の「庭先調査と聞き取り」をグループごとに模造紙に整理し、撮影した写真とあわせて発表を行いました。

かつて中和地区では、塩、にがり、種麹、油、海でとれる魚以外、ほとんどのものを自給していたことが見えてきました。

 

「庭先調査と聞き取り」発表① 一の茅集落 實原周治さん夫妻

昔、自給していたものは、畑で採れる野菜類、カジカ、アカザなどの川魚、ウサギ、キツネ、キジなどの肉類、家畜として飼っていたニワトリの卵、ヤギから採れる乳などです。

ワラビ、ヘイトコ、フキ、ゼンマイ、きのこなどは塩漬けして保存していたそうです。また、おやつは、芋飴、水飴、そばがき、おやきなどでした。味噌、醤油、砂糖は全て自分たちで作っていました。食品の他にも、薬として、フキを血止めに使ったり、キハダを牛の成長剤に使ったり、クロモジは殺菌や滋養強壮、マムシも滋養強壮、赤トンボは解熱剤として利用していました。

買っていたものは、ニガリ(豆腐を作るため)、種菌、塩、海でとれた魚などです。

昔の収入源は、葉タバコと牛の子と、牛の貸し出しでした。そしてお米を作ることによって1年間の暮らしは賄えていたそうです。また、冬は藁仕事、薪作り、炭焼きなどで忙しかったというお話も伺いました。

實原さんは30年ほど前から、山葵(ワサビ)作りにも取組んでいらっしゃいますが、大変苦労されたそうです。最終的には「山葵がこちらになびいてくれた」と仰っていたことがとても印象的でした。

實原さんには、私たちのために山菜やおこわを準備いただき、そして蜂の子もご馳走になりました。ありがとうございました。

一の茅①一の茅②一の茅③

(※クリックすると画像が拡大表示されます。)

 

「庭先調査と聞き取り」発表② 真加子集落 池田真治さん夫妻

昔、自給していたものは、米、麦、サトウキビなどの農産物、豆腐、醤油、どぶろくなどの加工品、野菜、薬としても飲用していたスギナ茶やドクダミ茶などです。肉類は、家畜のウサギや鶏、死んでしまった牛の肉。牛乳、鶏卵も自給していました。山の恵みとしては、タヌキやイノシシの肉、栗、山菜など。子どもの頃、田ではタニシを、沢ではカニを獲るのが楽しかったそうです。

昔から買っているものは、海でとれた魚や塩などですが、魚は、お米と交換してもらうことが多かったそうです。

かつての池田さんご夫妻の生活は農業が中心で、忙しいときは朝の4時から夜の8時まで働いたそうです。冬も藁仕事が忙しく、一年のうちでゆっくり過ごせたのは正月くらい、という生活だったそうです。だからこそ今は、贅沢な生活で幸せだと感じているそうです。

私たちは、かつての自給自足の生活に憧れていますが、今回のお話を聞かせていただいた80代半ばの池田さんにとっては、今の便利になった生活がいちばん幸せなのです。その言葉と、私たちの想いとの矛盾は何だろうと考えさせらせました。

真加子①真加子②真加子③

(※クリックすると画像が拡大表示されます。)

 

「庭先調査と聞き取り」発表③ 荒井集落 荒尾常忠さん夫妻

昔は、炭焼き、葉タバコ、牛の子売り、ジャージー牛の牛乳で生計を立てていました。炭焼きや葉タバコは、秋や冬にまとめて現金が入るため、今のような毎月の収入ではなかったそうです。

加工品として味噌や醤油も行っていました。各家庭には大きな桶があり、定期的に桶屋さんが回ってきて、桶を直してくれたというお話も伺いました。

畜産物としては、鶏の卵、ヤギの乳、死んでしまった家畜の肉がありました。また、近所の人が獲ったキジやウサギの肉、ウナギ、ウグイ、ハエ、マスなどの川魚も食卓に上がったそうです。「肉類は、自分たちの手で捌けるものだけを食べていた」という言葉が印象的でした。きのこ類や茶葉は、昔も今も山から採ってきますが、最近は見かけなくなって手に入らないものもあるそうです。

昔から買っていたものは、塩、海でとれる魚、種麹、清酒、ワカメ、炒り干しなどです。

海の魚は、鳥取から行商が売りに来たそうですが、先に蒜山の方で新鮮な魚は売れてしまい、中和地区に来る頃には腐ったような魚しかなかったそうです。それでも、行商の方を家に泊めると魚をくれたそうで、新鮮ではない魚と分かっていても有難いと思って頂いたという話でした。

荒井①荒井②荒井③

(※クリックすると画像が拡大表示されます。)

 

「庭先調査と聞き取り」発表④ 下鍛冶屋集落 藤井純夫さん

昔から自給していたのは、野菜類、芋類、山菜類、キノコ類、川魚などです。

野菜は、土を埋めて保存するという方法もあったそうです。雪の中に肉を埋めて、血抜きや臭い抜きをして保存したという話も伺いました。また、普段からポケットに塩を常備して、おやつ代わりに野草などを食べていたそうです。

牛を6頭ほど飼っており、農耕に使うほか、田の畔の草を牛に踏ませて、1年分の堆肥をつくっていたそうです。牛は、神様のように神聖で大切なものとして扱っていました。

山は個人持ちでなく共有で、炭焼き用、放牧用に分けて、みんなで使っていました。だから昔は、さまざまな種類のキノコがたくさん採れたそうです。

その後、炭焼きにも放牧にも使わなくなり、ここ30~40年でイノシシ・シカが出てくるようになったということです。

藤井さんの家には梅の木があり、梅干しを作っています。どの家にも1~2本の梅の木があるそうです。私たちは梅干しをつくる場合、梅をスーパーで買うところから始まります。保存食などの知恵は、物が豊富に無かった時代に、生きるためにうまれたものです。何でも自由に手に入る今の生活が幸せかもしれませんが、昔ながらの知恵や食文化は、今後、残らない可能性もあるのかもしれないと感じました。

下鍛冶屋①下鍛冶屋②下鍛冶屋③

(※クリックすると画像が拡大表示されます。)

 

「庭先調査と聞き取り」発表⑤ 別所集落 中谷政司さん夫妻

昔から自給していたものは、野菜類、芋類、山菜類、キノコ類、川魚などです。山では、キジ、ヤマドリ、ウサギ、キツネ、タヌキ、ムジナ、ハンザキなどを得ていました。そういったものが獲れたら、集落の人みんなで食べ、集落で行事があるときは一緒に豆腐を作るなど、食べものを共有することが多かったそうです。

また、卵を得るためにニワトリを飼っていましたが、盆や正月、お客さんが来たときには、捌いて肉を食べたそうです。美味しく命を頂くことは楽しみだったと仰っていました。

醤油は10キロ先まで樽を背負って買いに行っていました。背負って醤油を運ぶのは大変でしたが、街に出て、いろんなものを見たり買ったりするのが楽しかったそうです。

昭和30年代までは、魚などは米との物々交換で手に入れていいました。その後、税金の支払いや通院などにお金がかかるようになったため、葉タバコや蒜山大根を作り出したそうです。冬は京阪神に出稼ぎに出るようになりました。

中谷さんに聞くと、昔は人情味が溢れて、人の心が豊かで、今よりもっと人との繋がりがあって、それが幸せだったと仰っていました。一升瓶を持って家々を回って、飲みながらコミュニケーションをとるのがとても楽しかったそうです。

昔は田植えも2週間かけて人手で行っていたため、お互いに手伝いに行ったそうです。今は機械で仕事が効率化され、田植えも2~3日で終わり、楽になりましたが、それを少し寂しい顔で話されていたのが印象的でした。

別所①別所②別所③

(※クリックすると画像が拡大表示されます。)

 

■まとめ

発表の後は、駒宮博男さんが聞き手となり、三船進太郎さんや赤木直人さんに話を聞きました。途中、「今すぐにお米を作ってみたい人はいますか」という駒宮さんの質問には、塾生が4人、手を上げました。最後に総括として塾長の澁澤がコメントしました。

 

三船進太郎氏(パパラギ農園有限会社)

私は、パパラギ農園有限会社という法人を経営しています。年商3,000万円程です。従業員は私と息子の二人ですが、農繁期には時給1,000円でパートさんを雇います。

3,000万円のうち、米は1,000万円程です。平均して1俵25,000円程で売れています。販売先は、有機野菜などを宅配する「らでぃっしゅぼーや」に多く卸しています。それから、大阪の米屋、名古屋の米屋にも直接卸しています。農協には出していません。真面目にきちっと作っていれば、農協を頼らなくても、誰かが振り向いてくれるということです。

次に大きいのは作業受託です。米の稲刈り・乾燥・調整、ソバの刈取り・乾燥・調整をやっています。3番目に大きいのは補助金で500万円程あります。中山間地域直接支払・環境直接支払・戸別所得補償・転作(麦・大豆・ソバ・菜種・エゴマ)の面積払いと数量払いなどがあります。次が卵の売り上げ、その次が転作作物の売り上げです。

私がやっているのは、ニワトリの鶏糞を田畑に還元して作物を育てる、循環型の有機農業です。米の場合、一番労力を費やすのが除草です。何とか除草を楽にしたいと思って、合鴨農法をやったり、機械除草に力を入れたりしています。ニワトリの飼料には、屑米、米ぬか、雑草、トウモロコシ、かき殻、いりぼしやイワシの屑、もみ殻、水を入れて、発酵飼料にして与えています。

 

中和では65~75歳の方が一番元気に農業をやっています。この年代が一番分厚い層です。ですが、もう10年経つと、その層が空っぽになる可能性があると感じています。もう10年で、農業に、そしてこの地域に本当に危機がやってくるのではないかと思っています。

私が耕作しているのは11町歩です。そのうち自分の土地はわずか8反です。ほとんど、地域の皆さんの土地を借り受けてやっています。若手でやっているのは、うちの息子と数えるほど。兼業でやっている方は何人かいますが、兼業では、あまり面積を増やせないでしょう。もう10年すると田んぼは余り放題という状態になると心配しています。

先祖伝来の田畑を守るというのは、尊いことだと思います。自分の代で断ち切ってしまうことは、その当事者にとって悲しいことだと思います。その一念で皆さん、決して儲からなくても米づくりを続けているのではないでしょうか。田んぼを手放すということは中和から出ていく、あるいは子どもたちが中和に帰ってこない、そういうことだと思います。

 

農業は、そんなに難しく考えなくてもやれると思います。最初は50点でもいいからやってみてください。そして自分が作ったもの食べ、周りの人に食べてもらってください。美味しいと言われたときには、きっと喜びが出てくると思います。その喜びの連続で、農業は成り立っているのではないかと思います。

 

赤木直人氏(一般社団法人アシタカ)

一の茅集落は、米作りの共同作業がいまだ残っています。機械も20年で償却するような計算で、共同で所有しています。機械を使うためのスケジュール管理などは結構大変ですが、それでも揉めることなく、田植えも稲刈りも一緒にやっています。

中和に来て8年ですが、一年目から田植え機に乗りました。何も教えられず、畔にぶつかりながら植えました。うちは慣行栽培で、農薬も肥料も入れるやり方です。自分で食べて、親戚に分けて、農協に出して、どれだけ作っても赤字です。義父には、「高く売れるんだったら、直接、売ればいい」と言いますが、そこにはあまり期待をしていませんし、収益を得ることがその目的でもないようです。赤字だろうがなんだろうが、昔から守られてきた土地を守っているだけにも見えます。中和にはそういう方が結構多いと思います。

 

塾長 澁澤寿一氏(NPO法人共存の森ネットワーク理事長)

お米の買い取り価格は1俵(60kg)当たり8,000~10,000円です。それを三船さんは、25,000円で売っている。機械の償却も入れたお米の生産の原価は、15,000~16,000円というのが全国平均です。それを多くの農家は10,000円で売っているということです。

15,000円の原価のものを25,000円で売っているとすれば、1俵当たりの利益は10,000円です。1反当りどんなに採れても10俵です。1反(300坪)作って、10万円くらいにしかなりません。それを皆さんのお給料で割ったら、どのくらいたくさんお米を作らないといけないかという話です。ほとんどの農家はその利益すら出ずに、15,000円のものを10,000円で売っている。なのに、なぜ農業を続けているのでしょうか。先祖伝来と言う言葉で片付けてしまえば簡単ですが、そこにはやはり理由があると思います。それを突き詰めて考えていただきたいと思います。

つまり、皆さんはすべての物の価値をお金に換えて考えてしまいがちですが、農家の皆さんは、お金に替えられない価値を持っているということです。何に対して持っているのか。それを考えることが、これからの皆さんの暮らしのヒントになると思います。お金だけではない、他の価値を見つけていきたいと思うのなら、多くの農家の皆さんが、なぜ米作りを続けているのかを考えていただきたいと思います。

また、今回の講座の一番の目的は、「自分の体は何で出来ているのか」を考えるということです。ほとんどの人は、どんな職業に就きたい、どんな暮らしをしたいということを全部、頭の中で考えます。それは、自分の体と頭が別々に生きているということです。地域の皆さんから聞いた話を思い出してください。話してくださったすべての事は、自分の体、肉体をどう生かすことができるか、養うことができたか、ということです。

人間は縄文時代から何万年と、肉体を養うことだけを考えて生きてきました。ところが今、私たちは、生きるということを頭の中だけで考え、体の事をほとんど考えなくなっています。脳みそだけが生きていて、自分の体のことを見る事がありません。こんな生き方をするようになったのは、人類の歴史では、ほんのここ50年という、わずかな時間です。これが今後も続いていくことが前提なのか、本当に続いていくのか、ということについても考えて欲しいと思います。

今回、自給自足と言う言葉が何度も出てきました。皆さんは、「自給」する方法を一生懸命考えます。ですが、本当は「自足」する方法をどう考えるかということではないでしょうか。自分で作った米や野菜を自分で食べることによって、自分はどんな満足を得ることが出来るのでしょうか。何を満足と思い、何を足ると思うのかを感覚として持つということが、これから皆さんが生きていくうえで一番のキーワードになると思います。それは、一番身近な「食」から、またその向こう側にある「農」から考えていくことができます。

産業としての農業ではなく、自分の体を生かすための「農」という行為から人生を考えたとき、頭で考えたものとはまるで逆の人生が見えてくると思います。そのとき、自分はどういう判断して、自分の人生を選択していくのか、そのあたりの感覚を掴むために、今回は、「食と農」をテーマにしました。

もう一度考え方をフラットにして、自分の肉体を生かすということはどういうことなのか、自分なりに考え、何かを掴んでいただきたいと思います。

 

■塾生の感想

「農家の現状や、米の価格の低下に驚きました。もっとお米を食べようと思いました。」

「買うものはほとんどなく、できるものは全て自分で作っていたという事実に驚きました。」

「今は生きるためにお金を“稼ぐ”生活ですが、昔は生きるために“働く”生活だったと知りました。」

「“今の生活が幸せ”という人と“昔の方が良かった”という人。どちらが正しいかではなく、自分に合ったものを選んで生きたいと思いました。」

「採算の問題とは別に、お金にならない価値を見つめ直したいと思いました。」

「暮らしの中になりわいがあり、常にいろんなことに挑戦している中和の皆さんは輝いて見えました。」

 

■おわりに

庭先調査と聞き取り、食事の準備にご協力いただきました地域の皆さま、本当にありがとうございました。

 

次回の講座は7月9~10日(土・日)、「地域の産業と暮らし~森林とバイオマス~」です。

 

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真庭なりわい塾 第2回講座

「地域の産業と暮らし ~食と農~」

開催日:2016年6月11、12日(土・日)

会場:中和保健センターあじさい

内容:

(1)講義「食と農の変遷」

※講義資料  真庭なりわい塾「食と農の変遷」

(2)「庭先調査と聞き取り」

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