2016年5月21日、真庭なりわい塾が開講しました。
この塾の開講にあたっては、年明けから京都・大阪・岡山でプレイベントを開催し、真庭市中和(ちゅうか)地区の皆さまのご協力のもと、現地説明会を開催するなど準備を進めてきました。
その結果、67名の応募があり、書類選考と面接により25名が塾生に選ばれました。
25名のうち19名が20~30代で、男女比はほぼ半々。岡山県内在住者のほか、半数以上は関西圏在住で、遠く山梨から参加する塾生もいます。
塾生は年9回、真庭市中和地区に通い、共に学びます。
■入塾式
真庭なりわい塾は、岡山県真庭市、中和地区住民、NPO法人共存の森ネットワークの3者で実行委員会を組織し、豊森なりわい塾(愛知県豊田市・トヨタ自動車・地域の未来志援センター)のご協力と、公益財団法人トヨタ財団の助成により実施します。
開講にあたり、中和保健センターあじさいにて入塾式を行いました。
はじめに真庭市の太田昇市長、ついで中和地区住民を代表し、中和地域づくり委員会の大美康雄委員長に、主催者を代表し、挨拶いただきました。
真庭なりわい塾にご参加いただき、本当に嬉しく思っております。
京都・大阪・岡山のプレイベントには300名以上の方にご参加いただき、67名の方にご応募いただきました。
実は、毎月1泊2日、年に9回も開催する講座に、来る人はいないのではないかと思っていました。選考の結果、25名の方に受講いただくことになりましたが、皆さんには、何らかの形で将来とも真庭に関わっていただければありがたいと思っております。そして願わくば、真庭に住んでいただきたい。これだけのメンバーがいるだけで真庭は変わっていくのではないかという希望を持っております。
年齢も経歴も違うこのメンバーで1年間、自分の人生を考え、農山村や日本の未来を考えていただけたらと思います。
入塾、誠におめでとうございます。中和地区の皆様には、お世話になります。
どうぞよろしくお願いいたします。
中和地域づくり委員会
委員長 大美康雄氏(真庭なりわい塾副塾長)
中和地区は人口が700人足らず、過疎高齢化が進んでいる山村です。そうした中で、少しでも活力と魅力のある地域にしたいという思いから、「中和いきいきプロジェクト」という、地域づくりの活動に取り組んでおります。できる人ができることを、できる範囲でやっていくことが基本です。
こうした動きができてきたのは、ここ数年、個性的で元気な若い人たちが増えてきたということが大きな要因ではないかと思っております。
たとえば、中和地区では数十年ぶりに専業農家の後継者ができました。また、一般社団法人アシタカの赤木直人さんは、地域の里山資源を活用したなりわいづくりにチャレンジされています。農業生産法人蒜山耕藝の高谷さんご夫妻は、移住後、農業(自然栽培)に取り組み、空き家を改修して食堂をオープンし、人のネットワークを大きく広げています。こうした若い人たちの挑戦が、地域に未来への希望を与えてくれていると感じております。
中和のような農山村で生きていくための知恵と実践力を学び、それぞれの価値観を尊重し合いながら、自らのライフスタイルを実現していく力を身に付けていただければと思います。
地元の住民として心より歓迎し、支援していきますので、最後までよろしくお願いいたします。
続いて、トヨタ自動車株式会社の大洞和彦様より祝辞をいただきました。
本日は真庭なりわい塾の開講、誠におめでとうございます。
トヨタ自動車は、グローバルなビジネスを展開する一方で、社会貢献活動の一環として地域の課題解決を、様々な視点で進めております。豊森なりわい塾も、2009年にトヨタ自動車の社会貢献活動としてスタートしました。今年で第6期、8年目となります。120人程の卒塾生が、様々な活動を地域で展開しております。
今回、真庭なりわい塾が開講するということは、豊森なりわい塾の卒塾生、スタッフにとっても、大変嬉しいことです。お互いに良い関係を保ちながら、様々なやり取りをしていくことで、この活動が広がっていくのではないかと感じています。
卒塾した後が、本当の活動になるのではないかと思いますので、ぜひ1年間、皆さん頑張ってください。
第1回講座は、「集落をあるく・みる・きく」と題し、地元学を実施しました。
はじめに、塾長の渋澤寿一(NPO法人共存の森ネットワーク理事長)が講義を行いました。 (※講義資料はこの報告の最後に添付します。)
■講義「真庭なりわい塾の目指すもの」
(※クリックすると画像が拡大表示されます。)
〈高度経済成長期を境に日本には変わった〉
1960年代の高度経済成長期を境に、日本人の暮らしは大きく変わりました。それまでは、自分の体を動かして、食べるものをつくり、薪をとって燃料を確保し、機を織って着るものもつくる生活をしてきました。自分で自分の体を養うために働き、その知恵を代々伝えてきた社会でした。
1960年代以降の50年間は、石油などの地下資源で成り立っている社会です。農山村といえども一家に何台かの自動車や軽トラがあり、車で移動することが当たり前になりました。農作業で使っていた牛や馬は、トラクターやコンバインになりました。チェーンソーや刈払機も入ってきました。一見、便利で豊かな、今の暮らしに変化したのが、50年くらい前ということです。
しかし、食料は本当に心配しなくて良いのか。戦争が起きても日本に石油は入ってくるのか。石油がなくなったときに自分の手一つで生きていけるのか。私たちは見えない不安を抱えています。農山村には水も食料もあります。自然エネルギーも活用できます。危ないのは、むしろ都市の方かもしれません。
50年前、高度成長期には、都市に多くの若者が流出しました。しかし今、都市では、食の安心・安全の問題、ストレスや不安、いじめ、若者の雇用の二極化など、様々な問題が生じています。そして、私たちの生存の基盤はすべて海外に依存しています。東京都の食料自給率はわずか1%、大阪府は2%、神奈川県が3%です。私たちが住んでいる都会は、砂上の楼閣かもしれません。自分たちで生きていくということは出来ない、貨幣経済によって初めて成り立っている場所です。
今の高校生たちは、安心できる人生モデルはないと言います。年金の問題、社会保障の問題、あるいは金融不安の問題、いい会社に入ってもリストラされるかもしれない、会社が倒産するかもしれない。高校生は、人生のモデルがない中で生きていかなければいけない。自分たちは何のために生きていくのかわからないと言う高校生がたくさんいます。
〈環境と社会の持続不可能性〉
これはエコロジカルフットプリントを表した図です。50年前は、地球上の半分の資源を人間が使っていた。しかし、いま人類は、1.5個の地球を必要としています。日本人と同じ暮らしを、世界中の人がすると、地球は2.5個必要になる計算です。でも、そんなことはあり得ません。地球は有限です。
一方、現代は、実体経済の何十倍、何百倍ものおカネが動いているといわれます。 トヨタ自動車が、どれほどいい車を作っても、為替の差益によって、会社は赤字にも黒字にもなります。つまり、働いたことがおカネで正当に評価されません。 おカネは本来、人間社会のひとつのツールであったはずなのに、人間の欲望は抑制が効かず、私たちは、いつの間にか経済(おカネ)に支配されているのです。
かつては「仕事」と「稼ぎ」ができて、はじめて一人前といわれました。森は1世代だけではつくることができません。祖父母の代から、孫の世代まで、5代、6代と続いて、はじめて、80年、100年の森をつくることができるのです。つまり、自分たちの世代のことだけを考えるのではなく、子孫がどうやって暮らしていくのかを考えなければならない。そして森を守り、育てるという同じ価値観をつないでいかなければなりません。
価値をつないでいくために、祭りは重要でした。東日本大震災の後、被災した地域では祭りを復活させたいという声がたくさんありました。でも、国はそのための予算を出しません。祭りの価値は、おカネで計ることができないからです。生きることや働くことには、数字やおカネでは単純に計れない価値が含まれているということを、この塾で考えていきたいと思います。
〈これからの社会と価値観を考える〉
50年以上生きている私にとっては、50年前はついこの間のことに感じられます。春のこの時期には、近所の人たちと協力して手で田植えをし、畔で子どもが弟や妹を子守りするという光景が当たり前でした。今はそれぞれの家で田植え機を所有し、別々に作業をして、お父さんもお母さんも、みんな勤めに出て、子どもが待機児童にならないように保育所を探しまわる、そんな時代になりました。わずか50年の間の話です。
私たちはどうして、このような社会に変えてしまったのか。それは恐らく、わずらわしさから逃げたかったからだと思います。仲が良いから一緒に田植えをするわけではありません。その日に植え終えてしまわなければ、水の管理ができないから、一緒に作業しました。刈取りも一人では一日でできないから、稲の都合に合わせて、みんなで作業しました。そこには当然、わずらわしい人間関係があります。そのわずらわしさを捨てて、すべておカネで買い、便利な生活をすることが新しい時代だと思って、暮らしを変えてきたのです。
かつては、すべてを自給自足し、あるいは、コミュニティの中の交換や贈与によって成り立っていた社会でした。人々はお百姓さんと言って、すべてを自分たちの手でつくり、まかなってきました。今は、みんながサラリーマン。すべてを買う暮らしです。昔のように自給自足することはできないと思います。でも、自給自足と貨幣経済のこの中間に、現代のお百姓さんともいえる新しい働き方があるのではないかと思っています。
私たちは、この50年、どういう社会を作ってきたのかということを、いま一度考え、また50年先、100年先に、どういう社会があるのかということを、この塾で皆さんと一緒に考えていきたいと思っています。
〈地元学について〉
初日の講座で皆さんに取り組んでいただくのは「地元学」です。地域を歩いて、見て、聞いて、集落の成り立ちと地域に入る心得(作法)を学ぶことが目的です。皆さん、これからグループに分かれて、集落を歩きます。集落にあるものや風景、一つひとつに意味があります。
中和地区のそれぞれの集落は、どのような自然条件の中で、どのような社会変化の中で、どのような知恵をもって、それぞれの時代に暮らしをつくってきたのでしょうか。切り口となるのは、1960年代以前と、それ以後の生活の変化です。地域の方に尋ねながら見て、歩いてもらいたいと思います。過去と現在、その延長に未来があります。
「地元学」では、古いものや新しいもの、集落のそこにあるものを、集落の人に聞いて、メモや写真をとっていきます。ガイドマップを作るのではありません。「水」「光」「風」「土」「生き物」・・・目の前にあるものを聞いていきます。目の前の風景ひとつひとつに意味があります。民俗学の調査ではありません。持っている知識や先入観を捨てて聞きましょう。年配の方にも、子どもたちにも対等な立場、同じ目線で聞きましょう。具体的な内容を聞きましょう。そうすることで、多くのことが見えてきます。
話を聞いていると、その集落が大切にしていること、次の時代に伝えたいと思っていることが見えてきます。その想いをどうやってつないでいくことが出来るかを、集落の方と考えることが出来ればと思います。
地元学では、地域の方にいろんなことを聞いたり、見せてもらったりしますが、どうしたら少しでもお返しできるのか考えることが、集落に入る第一歩になると思います。私たちにとっても、地域の方にとっても、この出会いが価値あるものになるようにしていきましょう。
■「地域をあるく・みる・きく」(地元学)
今回の地元学は、中和地区13集落のうち、一の茅(いちのかや)、真加子(まかご)、荒井(あらい)、下鍛冶屋(しもかじや)の4集落をグループに分かれて歩きました。
案内をしていただいたのは、真庭なりわい塾の地元実行委員の皆さん、そして各集落で日々の暮らしを営んでいる方々です。
家々をめぐり、田畑で作業をしている方に声をかけます。畑では、いろいろな野菜をつくっています。山菜やキノコ採り、狩猟や川漁、炭焼きの話を聞きます。集落にはお堂があり、水神さんがあり、その他、さまざまな神様が祀ってあります。川や水路はどこから流れてくるのか、辿っていきます。古い蔵の中を見せていただきます。すでに空き地や空き家になっているところには、昔、何があったのか。現在の風景から、昔の暮らしの様子も垣間見えてきます。
山村の風景は、ただ美しいだけではありません。そこには、地域の人たちが紡いできた日々の営みの積み重ねがあり、誇りや思い、願いが込められています。 たった2時間のフィールドワークでしたが、地元の方ですら気づかなかったことも含め、たくさんの発見がありました。
■全員自己紹介、宿泊
「地元学」を終えた塾生たちは、蒜山なごみの温泉 津黒高原荘で入浴し、夕食をとった後、全員で輪になって座り、自己紹介を行いました。
1人に3分という限られた時間でしたが、現在の仕事や住んでいる場所、塾に応募したきっかけなどをそれぞれに話しました。塾生だけではなく、実行委員のメンバーやスタッフ、そして市の職員も、塾に対する思いを自分の言葉で語りました。
真庭なりわい塾では、塾生の宿泊施設として、中和地区の各集落にあるコミュニティハウスを月替わりでお借りします。今回は、別所(べっしょ)と下鍛冶屋でお世話になり、男女別に宿泊しました。翌朝は、塾生みんなで朝食をつくりました。
パパラギ農園の三船進太郎さんの卵、若手で農業を営む山岡伸行さんのお米、蒜山工藝の高谷絵里香さんの手作り味噌など、食材はどれも中和のものばかりです。作り手の皆さんに感謝し、美味しくいただきました。
寝食を共にすることで、はじめて出会った塾生同士の距離も縮まり、仲良くなることができました。地域の皆様、ありがとうございました。
■グループごとの発表
2日目は、前日に行った地元学について、グループごとに模造紙に整理し、撮影した写真とあわせて、塾生が発表を行いました。
地元学の発表① 一の茅集落 「神様がつなぐ 神様と暮らす 一の茅」
13世帯43人が暮らすこの集落には、中心を南北に植杉川が流れており、かつてはこの川沿いに家々が立ち並んでいたそうです。
しかし、昭和9年の水害で数軒の家が流される被害に遭い、川から少し離れた現在の位置に移りました。その後、川は石垣が積まれて今の形になったそうです。
昔は水量がもっと多かったようですが、現在は3分の1程度に水量が減り、水害後に作られた砂防ダムも不要になりました。子どもたちも遊びやすい浅瀬の川です。
この集落の特徴は、「神様が棲む集落」と言われるほど神様が多く祀られていることです。年間10いくつもの祭礼・行事があり、昔から一つも途絶えさせることなく、全戸が参加しています。
その秘訣は、役割分担をきちんとしていることだそうで、地域のみなさんが和気あいあいと協力しながら行事を行う様子が目に浮かびました。
また、6~7軒あわせて10町歩(10ヘクタール)の水田があるこの集落では、農機具を共同で所有し、お互いに協力しながら田植えや稲刈りを行っていることを伺いました。お米は美味しく、1反(10アール)あたり9俵もの収量があるそうです。過去には葉タバコで現金収入を得ていた時代もあることや、その昔はタタラ場があり、木地師がいたこと等、他にも様々なお話を伺うことができました。
印象的だったのは、話を伺った皆さんが、周囲の方に対して「おかげさまで」と何度もおっしゃっていたことです。
たくさんの神様がいて、食べ物を育てる土地があり、また共に暮らす人々への感謝の気持ちを常に持ちながら暮らす集落であることがわかりました。
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地元学の発表② 真加子集落 「日参札がつなぐ集落の絆」
14世帯が暮らすこの集落には、各家を1日ごとに回していく「日参札」という当番札があります。当番になった家は、國司大明神にお参りに行きます。國司大明神は、1826年に建てられたと伝えられていますので、数百年も以上もの間、毎日欠かさず、お参りする風習が続いていると考えられます。
この当番札をまわす風習は、定期的に集落の人々がコミュニケーションをとる機会にもなっているそうです。
また、集落の周囲(東西南北)には、結界を張るための「結界札」があり、邪悪なものが集落に入らないようにしています。
3月の全員でのお参りの際には、結界札を付け替えるそうです。
お話を伺った方々からは、先祖からの風習を絶やさないという強い気持ちが伝わってきました。
また、真加子には、移動販売車が来るそうですが、そこでの買い物は、気を使って必要な分よりも少し多めに買うそうです。また、地域にはタクシー会社がありますが、同じような業種が増えて、その人の仕事を奪うことがないようにしているそうです。
集落を案内してくださった鈴木孝一さんは猟師で、年に60頭の鹿や猪を獲っています。そのおかげか獣害が少ないそうです。現在のわな猟は、罠にセンサーがついており、罠をすべて見て回らなくても効率的に猟ができると聞いて驚きました。中和地区に東京から移住し、鈴木さんから狩猟の仕方を学んでいる女性もいるそうです。
他にも、昔は山が集落の共有だったこと、そこでは薪や炭などの燃料を得ていたこと、農業用水を引く水路をとても丁寧に手入れしていること等を教えていただきました。
一見、面倒なことでも、ごく自然に役割を引き受けて、皆がそれぞれできることをやっており、それがまとまりのある集落をつくることにつながっているということがわかりました。
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地元学の発表③ 荒井集落 「里山とともに生きる。」
荒井集落でも多くの神様が祀られていて、仕事や生活に密着する神様は、特に大切にしています。お堂の柵は、年に1回、集落の皆で新しく作り替えます。明治3年には建てられていたという納屋には、今では使わなくなった昔の農具も大切に保管されていました。
集落の日当たり良い場所には田んぼがあります。田んぼは日当たりを重視し、家は多少日陰になっても構わないという考え方です。農地は基盤整備がされており、反あたり10俵の米を収穫する人もいるそうです。
4~5人の方にお話を伺って気づいたことは、自然の力をコントロールしやすいところでは治水が発達し、田んぼが整備されて、人々がなりわいを営んでいるということです。また、人間がコントロールしづらい場所には、神様が祀られています。それぞれの神様に対する信仰は、祭りや行事となって、コミュニティを強化することにつながっています。
なりわいも祭りも、どれも生きることに直結しています。そして集落の皆さんは、ひとつのことだけをやるのではなく、様々な仕事や役割を当たり前のようにしています。その結果、全員が共通の認識や思いを持っていることがわかりました。
それが集落で生きるということであり、生きることに直結したシンプルな暮らし方や働き方は、とても魅力的に感じられました。
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地元学の発表④ 下鍛冶屋集落 「山が栄えれば銀座が栄える」
下鍛冶屋という名前は、この集落に鍛冶屋があったこと、あるいは古い時代にタタラ場があったことから、その名が付いたと想像できますが、その由来については、よくわからないそうです。
この集落には、中和の銀座通りと呼ばれる商店街があります。かつては店も多く栄えましたが、今は、その名残りしかありません。
明暦3年、中和には木地師がいたという記録があります。木地師はブナを伐って、お椀の木地をつくり、それを売ったお金で里の人から米を買っていました。しかし、天保7年の飢饉の際には米を分けてもらうこともできず、離散したと伝えられています。
大正~昭和初期には、ブナの原生林を伐採し、製糸工場用の木管を作っていたことから、商店が賑わいはじめました。昭和初期には製鉄所で、鉄の精錬に使う炭を焼く仕事が盛んになり、たくさんの人が山で働いていました。月に何回か、山から下りてくる人夫たちがお酒や日用雑貨を買うために商店を利用したそうです。この頃の銀座の賑わいがピークだったのではないかと想像できました。
時代が下って、昭和40年以降になると、各家で軽トラや自家用車をもつようになり、地域の人も倉吉に出て、買い物をするようになりました。以後、お店は次々と閉店し、銀座通りは衰退していきました。
山仕事の変遷や暮らしの変化とともに盛衰を繰り返してきた銀座通りですが、今後、山が盛えれば、また里にも賑わいが戻る可能性があると感じました。
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■まとめ
発表の後は、講師の伊藤洋志さん、塾長、副塾長がコメントしました。
講師 伊藤洋志氏(LLPナリワイ代表)
同じ集落を歩いても、人によって見ているポイントが違うことが分かったと思います。それを共有することが次につながりますし、気づいたことを深めていくことがさらなる面白さにつながっていくと思います。
集落によっていろんな取り組みがあり、お互いやっている作業の大変さや面白さを共有していることが、仲が良い理由の一つだと思います。人間が仲良く暮らしていくということは重要なポイントです。
個人でも知りたいことが出てきたときに、日常的に今回のように、歩いたり、見たり、聞いたりすることが出来ていくと良いと思います。
副塾長 駒宮博男氏(NPO法人地域再生機構理事長)
中和地区は、明治22年に5つのムラが合併して中和村になっており、今回の4か所の集落はまったく異なった歴史や背景を持っています。今回、訪ねていない別所や吉田などの集落は街道沿いにあり、また別の特色があるでしょう。中和をひとつとして考えるのではなく、すべての集落を個別に捉えていく必要があると思います。
集落単位で何ができるのかというのがスタートラインであり、集落単位でできないことは中和全体で、中和でできないことはもう少し広い範囲でやっていくことが、これからの地域づくりや自治の課題になると思います。
今回の講座はほんの入口であり、何回も足を運んで地域の方々にいろいろと聞いて教えてもらうと良いと思います。
塾長 渋澤寿一氏(NPO法人共存の森ネットワーク理事長)
風景の一つひとつには意味があって、その向こう側には人の営みがあるのだということが感じられたと思います。
目の前にある田んぼで何人の人間が食べていけるのか、山にある一本の木が何年前に植えられたものなのかが分かるようになると、たとえば30年前の山がどんな様子だったのかが立体的に見えてきます。今の集落を見たときには、そこに住むそれぞれの人生があります。それを知ると10年後20年後にどのくらいの人が残って、どんな集落になっていくのかが見えてきます。
そこに土地の広さや自然条件を加えて考えていくと、風景も地域も違って見えてきます。その中で、どの部分に共感できるのか、地域の人と共感しあえるのか、そんなところから自分の人生やこれからの集落、未来の社会を考える1年間にしてください。
■受講生の感想
「代々受け継がれてきた人々の営みが、今、自分が見ている風景なのだと感じました。」
「中和というせまい地域の中でも、集落の個性があることを知りました。」
「信仰が集落の人々のつながりを強くさせる一面があることを初めて知りました。」
「もっともっと中和のことを知りたいと思いました。」
■おわりに
今回、ご協力いただいた地域の皆さま、大変ありがとうございました。
来年1月まで、真庭なりわい塾の塾生、スタッフ共にお世話になります。
今後ともよろしくお願いいたします。
この講座報告では、毎回の講座の様子や講義資料を掲載していきます。
次回の講座は、6月11、12日(土・日)「地域の産業と暮らし~食と農~」です。
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真庭なりわい塾 第1回講座
「入塾式/地域をあるく・みる・きく」
開催日:2016年5月21、22日(土・日)
会場:中和保健センターあじさい/蒜山なごみの温泉 津黒高原荘
内容:
(1)入塾式
(2)講義「真庭なりわい塾の目指すもの」
(3)「地域をあるく・みる・きく」
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