第5期基礎講座 地域のお年寄りに話を聞く

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12月5日(日)に、第5期真庭なりわい塾の第4回基礎講座を実施しました。

今回の講座では、北房地域にお住まいの80~90代の方々のお話を聞く「聞き書き」の作業を通して、農山村で生きてきた人々の歩みや想いに触れることが目的です。

事前学習として、12月2日(木)に、塾長の澁澤寿一(NPO法人共存の森ネットワーク理事長)がオンラインで講義を行いました。

〇事前学習:「聞き書きの意味」

日本人の暮らしは、高度経済成長期を境に大きく変わりました。かつては自給自足の暮らしが基本で、「働くこと」と「生きる」は同義でした。今は消費生活が中心で、「働くこと」は「お金を得る」ことだと理解されるようになっていまいました。人類が今の暮らしを続けていくと、「地球」そのものが「持続不可能」になります。それは、お金で解決できる問題ではありません。

一方、「教育」も、昔と今とでは違います。教育は、本来、「生きるための伝承」であるべきですが、学校では「知識」だけを教えるようになり、「どのような未来が幸せなのか」を子どもたちに教えることはありません。私たちは「文字」で理解し、「頭」だけで考えるようになりました。「人と人」「人と自然」「世代と世代」がつながるためには、「身体」と「心」で理解し、「暗黙知」を共有し、「共感」することが必要なのです。「聞き書き」は、「どのように生きてきたかを追体験する」ものです。「心で見なければ、物事は見えない」「大切なことは、目に見えない」のです。

〇講座当日①:「聞き書き」~インタビューの実践~

事務局の吉野奈保子より、「聞き書き」の進め方を説明し、その後、4グループに分かれて、お話を聞きに伺いました。

■Aグループ 阿口・杉集落 黒田茂さん(85歳)
※他3名の方にも同席いただきました。

杉集落は海抜400m程の山村です。黒田さんは7人兄弟の5番目長男として生まれました。小学4年生の時に母親を亡くし、5年生になる頃には、水汲みや農作業の手伝いをしました。家では米やタバコ、麦、タバコを栽培。冬は1年間分の燃料となる木を薪にし、炭焼きをしました。雌牛は、集落の中で種牛を飼っている人のところへ連れていきます。牛のお産の時に一度、逆子だったために、紐で足を引っ張ったものの、産まれた子牛は息をしていなかったことがありました。集落には牛のお墓があり、そこで供養をしたそうです。

阿口は冷え込みも早い地域で雪もよく降ります。昔は早稲の品種ではなかったので、稲刈りは11月頃、氷を割りながらしたこともありました。戦後、農業の形態が変わって機械が入ってきた頃には、農閑期に働きに出ました。生まれてからずっと同じ家で、4世代で暮らしています。

杉の公会堂でお話を聞く
写真中央が黒田茂さん

■Bグループ 中津井・樽見集落 藤井幸恵さん(82歳)・佐藤禮さん(81歳)

樽見集落は、カルスト地形が発達した高台に位置します。石灰岩が地表に露出し、生活用水や農業用水の確保には苦労してきました。真庭市のお隣, 現在の新見市からこの集落に嫁いで来られたお二人は,偶然にも同じ小・中学校の同級生。中学卒業後,藤井さんは, 東京の議員さんの元へと家事見習いに, 佐藤さんは紡績工場へと, それぞれの道へと進みました。数年間働いた後, 帰郷。偶然にも 1ヶ月違いで, 同じ集落の嫁ぎ先へとやってきました。嫁ぎ先では、農業やタバコ葉栽培,酪農などが生業でしたが、二人とも,それまで農作業の経験がなく,嫁ぎ先で体で覚えました。「鎌すら持ったことが無かった」と言う藤井さんでしたが,勤めに出ている夫の代わりに農作業をするため,トラクターやダンプを運転するまでになりしました。同じ地域に嫁いできたにも関わらず、子育てもしながらの日々は大変忙しく、お互いに話す機会もないほどだったそうです。

藤井幸恵さんと佐藤禮さん
お二人と共に

■Cグループ 上水田・畦花集落 高原歌子さん(93歳)

高原歌子さんは、昭和3年に高梁市有漢町で生まれました。戦争中は、男手がなく、農作業の手伝いばかり。毎朝、山の清水を桶で汲んで家まで運んでくる作業も、歌子さんの仕事でした。学校に行っても、読み書きはろくに教えてもらえず、学校林から炭にする木を背負ってくるような作業ばかりでした。24歳のときに水田にお嫁に来ました。本家は、魚や乾物、日用雑貨などの行商をする家で、昭和30年代半ばには分家。現在住んでいらっしゃる家で、鮮魚店を営むようになりました。当時はご主人がミゼットで津山まで魚を仕入れに行き、歌子さんは、「仕出し」の仕事をしていました。刺し身や茶わん蒸しなど、何種類もの料理を注文に応じて作り、指定の場所に配達するほか、家の2階で大人数の料理を出すこともあったそうです。

現在は、週に1回、ご近所の同世代の女性たちとカット野菜をつくる作業をしています。93歳の今も皆で仲良く話をし、作業をすることが元気の秘訣のようです。

高原歌子さんを囲んで
行商時代の「仕入れ帳」などを見せていただく

■Dグループ 上水田・井尾集落 三好晋平さん(88歳)

三好さんは農家の生まれ。田畑の他、昔は和牛の雌牛を2頭飼い、放牧して育てていました。雌牛に子を産ませ、その子牛を売ったお金で、子供を育てたといいます。鶏も飼い、産んだ卵や肉でたんぱく質を補っていました。そのおかげで鶏をしめるのは得意で、そのコツも教えていただきました。

養蚕は女性の仕事で、家の2階からは、いつも楽しそうな声が聞こえていました。主に稚蚕を飼育し、ある程度育つと他の農家に売ることもしていました。奥さんは繭から糸取りをして、さらに機を織り、できた布は染物屋で染めてもらって、娘さんの着る服にしていました。

三好さんはサツマイモの名人で、ただ栽培するだけでなく、品種改良をし、栽培方法や加工方法など、いろいろ工夫しています。研究熱心で「サツマイモに関しては何でも挑戦している」と熱心に話してくださいました。

三好晋平さん
昔、使った農具なども大切に保管されている

〇講座当日②:「聞き書き」~書き起こしとまとめ作業~
インタビューの録音をグループで分担し、文字に書き起こししました。話し手の口調を丁寧に書き起こす中で、インタビューの内容を反芻します。

書き起こしたデータをもとに、話し手の語りの口調を生かしながら作品をまとめる作業は、各自、家に持ち帰って行います。

作品のまとめ方については、ワークシートを用いながら、事務局の吉野から説明を行いました。

〇塾生の感想(一部抜粋)

・日本語がいつできたかなんて考えたこともなく、塾長の講義で初めて、方言ばかりの時代に、他の土地とも会話を交わせたことに不思議さを感じました。また、アイヌの人たちのお話で、分配することの喜びは、地元の野菜のお裾分けや、餅や寿司など、祝いごとの料理を近所に配っていた祖母を思い出し、懐かしかったです。個人主義を掲げて、「自分は何ができるのか」「何がしたいのか」「何を目指すのか」を問われた学校では、「共感」は少し置き去りになっていたのではないかと思いました。

・「子どもの頃はみじめだった」「今が一番幸せ」とおっしゃっていたことが心に残っています。戦争が暮らしや心に与える影響は、計り知れないと思いました。戦争についてお話される表情や、原爆について言い淀む様子は、こちらまで辛かったです。一方で、ろうそくの明るさに感動したことや、現在のカット野菜づくりの集まりの様子など、楽しさを伝えられるたびに、こちらまで嬉しくなりました。「その人の人生を追体験する」とは、こういうことかと思いました。

・お一人の方に、長時間インタビューさせていただくのは、初めての経験でした。生活の場所を見せていただき、道具類の歴史について説明いただいたりして、肌で感じられる部分がありました。また話す前には、おそらくお話されるつもりではなかったんじゃないかと感じるようなお話や想いも、たくさん聞かせていただくことで、「生きざま」を見せていただきました。感謝の気持ちでいっぱいです。

・書き起こしをしながら、インタビューだけでは拾いきれなかった(聞ききれなかった)ことがたくさあることに気づいたので、これからまとめる作業が楽しみです。

・塾長の講義資料に、「時代の転換点」は高度経済成長期であり、それ以前の暮らしを知る人は「70歳以上」と書かれていましたが、もう「80歳以上」になりつつあると感じました。だからこそ、かつての暮らしを聞くことは、より大切になっていると思います。

・講義では、生きること、働くことの意味合いが、時代の転換点を境に変わってしまったというお話が、最も印象的でした。私にとっての「生きる」「働く」ことの意味を考える時間をしっかり取りたいと思います。

次回の講座は、前回の講座に引き続き、地域の産業と暮らしについて学びます。テーマは「林業とバイオマス」です。

※講座資料 聞き書きの意味 聞き書き実習 作品のまとめ方